野口みずきが明かす“一生の宝物”とは 小柄で内向的な少女がメダリストになった軌跡(小林信也)
ゴールしたくなかった
初マラソンから2年5カ月後の2004年アテネ五輪。25キロ過ぎまで10人以上が形成していたトップ集団を崩しにかかったのは、野口だった。
「監督は、他の選手は32キロからの下り坂でスパートすると読んでいました。スピード能力のない私がそこまで一緒にいたら勝ち目がない。ならば25キロ過ぎ、得意の上り坂で先にスパートし、意表を突いてみんなをアッと言わせた方がいい」
野口はその賭けに勝った。27キロ過ぎにはレースを自分のものにした。女王ポーラ・ラドクリフ(イギリス)は猛暑の中、歩き出し、そして止まった。
「ウオーミングアップの時、本当に今日レースをやるのかなと思ったくらい暑くてきついレースでした。走り始めて10キロくらいで気持ちが悪くなった。軽い熱中症になりかけていました。でも、先頭を走ると世界各国のカメラマンにずっと撮られています。その前で戻すわけにいかないと思っていたら、スパートする25キロ地点に来ていました」
終盤、激しく追い上げるキャサリン・ヌデレバ(ケニア)を振り切り、トップでゴールした。
「一生の宝物ですね。いちばん頭の中に刻まれているのは、ゴールする直前です。ゴールしたくなかった……。尚子さんを見て、私もと思ったシーンをいま感じているんだ。競技場にいた人たちが総立ちで迎えてくれて」
アテネに入る前、ドイツで調整した。冷夏の影響で野口は風邪をひいた。本番3日前、ガラガラ声で周囲を心配させた。だが、野口は笑いながら言う。
「かえって緊張しなくてすみました」、マラソン女王の発想回路は常人の理解を超えている。
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