カンヌ映画祭で受賞「青山真治監督」が問い続けた、人はひとりで生きていけるのか【2022年墓碑銘】

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考古学者のよう

 1964年、福岡県北九州市生まれ。両親は教師。高校時代はロックバンドに熱中する。立教大学に入学、中上健次の小説が創作活動の原点だと語るほど影響を受ける。在学中、蓮實重彦さんの映画表現論の講義が血肉となった。いわく、映画は画面に映っているものが全てであるという姿勢は青山監督にも通じる。

 大学の先輩にあたる黒沢清監督の助監督などを務め、96年、「Helpless」で長編映画監督デビュー。

「考古学者のようでもありました。歴史の断片から現実をつかみ、今後がどうなっていくのかを見つめる力もありました」(樋口さん)

 2000年に「EUREKA(ユリイカ)」でカンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞とエキュメニック賞を受賞。バスジャックに巻き込まれて生き残った運転手(役所広司)と兄妹(宮崎将と宮崎あおい)の、事件後の物語だ。同作の撮影を終え公開前に実際にバスジャック事件が起きたことで大きな注目を集め、先見性があると賛辞を浴びる。だが、心に傷を負った者の再生物語などと紋切り型に解釈されることを好まなかった。

「生を回復していく姿を丁寧に描いていた。身近なテーマに真摯に向き合ったからこそ、海外でも共感を呼んだのです」(映画評論家の北川れい子さん)

新作映画の準備も

 同作を小説化して、三島由紀夫賞を受賞。エッセイや評論にも腕を奮った。

「月の砂漠」(01年)でヒロイン役を依頼した、とよた真帆さんと翌年に結婚。仕事漬けで酒びたりの野良猫みたいな自分を拾ってくれたと感謝した。

「東京公園」(11年)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞。13年、田中慎弥の芥川賞受賞作「共喰い」を映画化して話題に。

「作家性の強さは一貫していた。観る者は青山作品のどこかに自分自身の姿を見つけ、心を揺さぶられたと思います」(映画評論家の垣井道弘さん)

「空に住む」(20年)では女心も無理なく伝えた。

「女性、そして女性の社会をどう描くかにも高い関心がありました」(樋口さん)

 昨年春、がんが見つかる。一時は回復し、新作映画の準備を進めていた。

 3月21日、頸部食道がんのため57歳で逝去。

「自分を含めて人は間違ったことをするし、言うものだよ、と弱みもわかっていた。何かを打ちのめすことはない人でした」(樋口さん)

デイリー新潮編集部

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