江夏豊「広岡達朗に“死に場所”をとられた」…引退発表後に前代未聞のメジャー挑戦

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「メジャー入りする可能性は75パーセント」

 オープン戦初登板となった3月13日のジャイアンツ戦では、2回をパーフェクトに抑え、同18日のマリナーズ戦も1死三塁のピンチを遊ゴロ、三振で切り抜けるなど、2回を1安打無失点で勝利投手に。ジョージ・バンバーガー監督も「エナツは最終選考まで落とすようなことはしない」と明言した。この時点で26人中8人の投手が振るい落とされており、当確の7人を除き、残る3つの枠を11人で争うことになった。

 3月23日のパドレス戦、6対2とリードの6回からリリーフした江夏は、ブルース・ボウチーに右中間ソロを浴び、初失点を喫したが、7回2死満塁のピンチに強打者のテリー・ケネディを外角低めチェンジアップで空振り三振に打ち取り、思わずガッツポーズ。

 2回を1失点に抑え、「メジャー入りする可能性は75パーセント」(バンバーガー監督)と村上雅則(ジャイアンツ)以来2人目の日本人メジャーリーガー誕生も現実味を帯びてきた。

 だが、3月26日のカブス戦では、味方のエラーをきっかけに打者10人で4失点。とはいえ、打ち取ったはずの遊ゴロが緩慢プレーで内野安打になったり、止めたバットに当たった打球が2点タイムリーになるなどの不運もあり、自責点はゼロだった。

 しかし、江夏自身は、打者心理を読んで配球を組み立てる“間の投球”が、守りのリズムを狂わせたことに気づき、「早め早めに勝負しなければ」と、日本の野球との違いを痛感した。

「自分の人生にとって、いい勉強になった」

 ここから一転苦しい投球が続く。3月30日のアスレチックス戦は、本塁打を含む4安打を許し、2回を3失点と2試合続けてリリーフに失敗した。そして、最終選考となった4月2日のエンゼルス戦、最後の1枠を争っていたテッド・ヒゲラが先発し、2点を失ったあと、4回から登板した江夏は、チームが同点に追いついた直後の5回にレジー・ジャクソンに安打を許し、3連続長短打など2失点で初めて敗戦投手になった。

 ジャクソンから「グッド・ラック」と書かれたバットをプレゼントされた江夏は「お前は日本に帰ったほうがいい」という意味に解釈した。はたして、翌3日、監督室に呼び出された江夏は、「リリース(解雇)」を通告された。キャンプインから43日間に及んだメジャー挑戦の夢は、実らずに終わったが、「でも、公平に試されたと思う。自分の人生にとって、いい勉強になった」と納得できるものがあった。

 その後、他球団との交渉もまとまらず、ブルワーズGMが持ちかけた1Aストックトンからの再挑戦も、「自分の年齢を考え、そこまでゆっくりとしていられない」と固辞。4月17日に帰国した江夏は「たった1度に賭けたことに敗れたのだから、キッパリ(野球は)あきらめた」と、当時噂のあった南海への移籍も否定し、そのままユニホームを脱いだ。

 同年、最後の1枠を手にしたヒゲラが15勝を挙げたことを知った江夏は「実にうれしかった」とかつての“戦友”の活躍を心から喜んでいる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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