二枚目スター「宝田明さん」の凄絶な戦争体験、「ゴジラ」を“同級生”と呼んだ理由【2022年墓碑銘】

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若手のスターに

 宝田さんは勧められて東宝ニューフェイスに応募し、難関を突破。54年に映画デビューすると、同年のうちに「ゴジラ」の主役に抜てきされ大ヒット。青春映画で重宝され、今をときめく女優と共演を重ねるが、なかでも同い年の司葉子さんとの共演が多かった。

 司さんは振り返る。

「池部良さん、三船敏郎さんに次いで若手のスターになりました。宝田さんは明るい人。同期のような意識でお互いライバル心も感じていました。東宝には切磋琢磨しあう雰囲気があったのです。メロドラマの『美貌の都』(57年)や、広告代理店同士で競い合う社員を演じた『その場所に女ありて』(62年)が特に印象に残っています。成瀬巳喜男監督をしのぶ集まりにもよく来られていました」

 音楽評論家の安倍寧さんも思い出す。

「声が良くて出演映画の主題歌まで歌ったこともある。東宝がミュージカルに乗り出すと、女性はジャズや元宝塚歌劇に人材がいましたが、男性の二枚目がおらず困った。そこで登用されたのが、宝田さんと高島忠夫です」

後進を育てたいと

 64年、「アニーよ銃をとれ」で江利チエミと共演し絶賛された。

「日本のミュージカルを切り開いた功績も大きいのです。小劇場でのミュージカルにも熱心で、スターぶることなどなかった」(演劇評論家の大笹吉雄さん)

 後進を育てたいと私費を投じ、教育の場を設けた時期がある。映画への出演も続いていた。4月1日公開の「世の中にたえて桜のなかりせば」では、終活の相談に応じる役。引き揚げの体験が語られる場面もあった。

 3月10日の完成披露舞台あいさつでは国際情勢にも言及。翌日も取材に応じていたが、疲れを訴え入院。14日、肺炎のため87歳で逝去。

「ゴジラのことを同級生と呼んでいました。『ゴジラ』に反戦のメッセージを感じ、当時は口に出さずとも、自身の戦争体験と重ねていたのではないでしょうか」(映画評論家の北川れい子さん)

〈戦争は必ず民間人を巻き添えにします〉という言葉に実感があった。ウクライナから伝わる報道は宝田さんを77年前に引き戻した。

デイリー新潮編集部

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