石原裕次郎の最後の言葉、一晩3400万円のギャラだった歌手は? 「ニューラテンクォーター」元社長が明かす知られざる舞台裏
力道山刺傷事件の現場「ニューラテンクォーター」 知られざる舞台裏を元社長が語り尽くす(後編)
「ニューラテンクォーター」には、人気絶頂時のエンターテイナーたちが世界中から集められ、最高レベルの公演を行った。まだ日本にショービジネスが確立されていない時代、それはなぜ可能だったのか。その知られざる舞台裏を社長だった山本信太郎氏が語り尽くす。
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【写真を見る】力道山刺傷の現場となった「ニューラテンクォーター」
生島 ニューラテンクォーターには、海外からやって来たキラ星のようなエンターテイナーたちが夜な夜な最高のパフォーマンスを繰り広げました。ナイトクラブとして成功したのは、ショーを前面に押し出した経営が当たったからと、前回伺いました。
山本 その通りです。当時は、スケール、クオリティーとも世界最高レベルといわれました。席はわずか300程しかなく、お客様はごく限られた少数の“夜の紳士淑女”たちだけでした。
生島 こけら落としに登場したトリオ・ロス・パンチョスをはじめ、海外の大物ミュージシャンたちが次々とやってきた。その招聘は協同企画(現・キョードー東京)の永島達司さんというビジネスパートナーに負うところが大きいというお話でしたが、永島さんはどんな方でしたか。
山本 初めてお会いしたのは、開店する1年ほど前でした。永島さんは海外生活が長く英語ができたため、当時、埼玉県入間のジョンソン基地の将校クラブでマネージャーを務めていました。背が高く、動作や雰囲気も日本人らしくない。福岡から上京したばかりの田舎者にとって、東京を体現した格好いい方でした。まだ日本ではなじみのなかったカバーチャージという料金システムを導入したのも、永島さんの発案です。ニューラテンクォーターでは、飲食代のチャージ、ホステスのチャージ、そしてショーのカバーチャージの3本立てで、それぞれ白伝、赤伝、青伝と呼んでいました。
歌い終わっても拍手していいか分からない
生島 明朗会計だったんですね。一度行くと、いくらくらいかかったのですか。
山本 カバーチャージはショーによって変わります。最初の「べサメ・ムーチョ」で知られるトリオ・ロス・パンチョスは600円でした。ナット・キング・コールが1500円。一方、飲み物はカクテルが1杯2千円前後でした。
生島 サラリーマンの月収は、当時1万~2万円くらいですから、やはり限られた人たちの世界ですね。
山本 当初はお客さんも慣れていませんから、歌い終わっても拍手していいか分からない。また英語が分からず、ジョークを言っても笑う人がいない。だからまずはホステスたちに言い含めて、手を叩くようにさせました。
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