佐藤蛾次郎さんは渥美清が最も愛した共演者 「男はつらいよ」全48作品で1回だけ出演しなかったワケ

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優作さんにも愛された

 山田洋次監督との出会いは1968年の映画「吹けば飛ぶよな男だが」。主演のなべおさみ(83)の弟分でチンピラ役だった。ヒロインの緑魔子(78)ら出演陣は個性派ぞろいだったのだが、不思議と蛾次郎さんは目立った。

 この作品以降は松竹の専属に近い形だったものの、存在感が他社の監督に買われ、松竹以外の作品にも出た。その1本が松田優作さん主演の日活映画「あばよダチ公」(1974年)。9月に亡くなった澤田幸弘監督の指名だった。

 松田さんのダチを演じた。やっぱりチンピラだった。松田さんらと一緒にヤクザと戦った。蛾次郎さんはアウトロー役が似合った。

 素顔の蛾次郎さんも世間の常識にとらわれない人だった。昼間から平気で酒を飲んでいた。修行僧のような渥美さんとは正反対。だが、だからこそ渥美さんに愛されたのだろう。

「あばよダチ公」の共演によって優作さんとも親しくなった。前出のコンサートは、実は優作さんとのジョイントだった。優作さんは「蛾次兄」と慕うようになる。面倒見が良かったからだ。また、やはり体面など気にしない蛾次郎さんが魅力だったのだろう。

「優作さんと2人で飲んでいたら、酔っ払ったほかの客がオレをからかったんですよ。情けない役が多かったからかな。すると優作さんが猛烈に怒り、『殴ってきます』って席を立ったことがあった。必死に止めましたよ」(蛾次郎さん)

 優作さんの将来を考えてのことだった。やさしいのだ。

結婚式は柴又

 蛾次郎さんは6年前に亡くなった夫人で元女優の和子さんと「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(1972年)の中で結婚式を挙げている。正確には山田洋次監督が、和子さんが花嫁姿になる場面をあえてつくった。

 和子さんが柴又の女性に扮し、花嫁姿で車寅次郎の実家「とらや」を訪れ、さくらたちに結婚を報告するという設定だった。和子さんはみんなから祝福された。山田監督の粋なはからいだった。その後、蛾次郎さんも紋付き袴姿になり、渥美さんらと一緒に記念撮影。山田監督も蛾次郎さんを愛していた。

 蛾次郎さんは「男はつらいよ」の全48作の全てに出ていると思われがちだが、実は第8作の「寅次郎恋歌」(1971年)には出ていない。クランクインの1週間前に交通事故に遭い、肋骨を折ったからだ。だが、ポスターから名前は消されなかった。これも愛されていたからだろう。

 蛾次郎さんの店「Pabu蛾次ママ」は2年前に閉じた。常連客でいつも賑わっていたが、コロナ禍の影響だ。店のママ役だった和子さんの死も大きかったのだろう。

 蛾次郎さんの死因は虚血性心不全。長男の佐藤亮太(49)は両親の跡を継ぎ、俳優として活動している。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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