佐藤蛾次郎さんは渥美清が最も愛した共演者 「男はつらいよ」全48作品で1回だけ出演しなかったワケ
映画「男はつらいよ」シリーズ(1969~95年)の源公役でおなじみの俳優・佐藤蛾次郎さんが死去した。78歳だった。同シリーズの48作中47作に出演しただけでなく、映画のルーツであるフジテレビのドラマ版「男はつらいよ」(1968年)にも出た。主演の故・渥美清が最も愛した共演者でもあった。孤独を愛した渥美さんだが、蛾次郎さんは別で、一緒に旅行したり、酒席に行ったりしたこともある。
【写真】惜しまれながらも2020年に閉店した「Pabu蛾次ママ」にて
渥美清さんが愛した俳優
蛾次郎さんを取材する際は、決まって「Pabu 蛾次ママ」を指定された。蛾次郎さんが東京・銀座でやっていたカラオケパブだ。
「すいませんね。わざわざ来てもらっちゃって」(蛾次郎さん)
銀座の飲食店には高級店が多いが、蛾次郎さんの店は大衆店。5000円ほどで飲み放題だった。店内には邦画、洋画のポスターがびっしりと貼られており、蛾次郎さんの店らしかった。
「渥美さんは『男はつらいよ』の撮影を離れても弟のように接してくれた。オレが渋谷のライブハウスでコンサートをやったら、花を持ってわざわざ来てくれたんですよ。おまけにステージに立ち、客席に向かって『皆さん、蛾次郎をよろしくお願いします』って頭を下げてくれた。感激しましたよ」(蛾次郎さん)
渥美さんは芸能人仲間とほとんど付き合わなかったことで知られる。また私生活も一切明かさなかった。
渥美さんは喜劇俳優として芽が出てきた矢先の1954年、肺結核を患い、死の淵に立った。その時、人間は誰にも頼れない、誰も助けてくれない、と痛感したからだとされている。
その後、渥美さんは右肺を摘出。以降は酒、たばこをやめ、コーヒーまで飲まなくなった。さらに家族と住む自宅とは別にマンションの一室を借り、そこで台本を覚えるなど役作りに励んだ。孤独な生活を送った。
もっとも蛾次郎さんは別。一緒にタヒチ旅行にまで行っている。
「渥美さんから突然、誘われたんです。『男はつらいよ』の山田洋次監督とさくら役の倍賞千恵子さんも一緒でした。渥美さんが全員の旅費と宿泊費を出してくれた」(蛾次郎さん)
現地では食事の時に顔を合わせる以外は1日中、自由行動。渥美さんの提案だった。渥美さんは旅行の理由を口にしなかったが、愛する人、世話になっている人への感謝の気持ちだったのだろう。
渥美さんと一緒に酒席にも
渥美さんは酒を飲まなかったが、蛾次郎さんと一緒の時は酒席に行くこともあった。そこで「男はつらいよ」を歌ったこともある。蛾次郎さんの行き着けの店だったというから、おそらく蛾次郎さんの顔を立てたのだろう。
蛾次郎さんは1944年、大阪府高石市生まれ。9歳の時に地元の児童劇団に入団し、中学卒業後の1961年、フジテレビの時代劇「神州天馬侠」で本格デビュー。この中で演じた役名を取って芸名を蛾次郎にした。
気取らない人だった。身なりはイケてる下町のおじちゃん風で芸能人臭はまったくなし。約束の時間に「Pabu蛾次ママ」に行くと、にこにこ笑いながら緑茶ハイらしきものを飲んでいたこともあり、そんな時は一方的に渥美さんを誉め讃えた。愛すべき人だった。
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