中山恭子・成彬夫妻が離婚していた 本人も認め「40年前から別居状態」、成彬氏は50代女性と再婚か

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 第2次小泉改造内閣で文科相、麻生内閣では国交相を歴任した中山成彬氏(79)。その妻は福田改造内閣で拉致問題担当大臣を務めた中山恭子氏(82)。二人三脚で歩んできたはずの二人だったが、実は夫妻はすでに離婚しているという。さらに成彬氏は既に再婚しているそうで……。

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 成彬氏といえば、文科相、国交相を歴任した元・大物代議士である。その妻は拉致問題担当大臣を務めた恭子氏。2002年10月、拉致被害者5人が羽田空港に到着した際、飛行機のタラップから祖国の地まで先導したのが、他ならぬ彼女であった。政治部デスクが言う。

「夫妻はともに東大卒で、もともと大蔵省(当時)のキャリア官僚同士。省内で縁が深まり、職場結婚に至ったといいます。仲の良さは折り紙付きで、成彬氏が10年に『たちあがれ日本』に入党した際には、妻の恭子氏も自民党を離党(最終的に除名処分)し、新党のメンバーに加わっています」

「アロマエステを経営する50代女性と再婚」

 妻は19年、夫はその2年後に政界引退を表明。本来ならば夫婦で悠々自適の余生、のはずだった。ところが、成彬氏の地元である宮崎県の自民党関係者は、

「実は、夫妻はすでに離婚しています」

 そう明かすのだ。

「成彬先生は、宮崎でアロマエステを経営している50歳前後の女性と再婚しました。綺麗なひとで、二人が一緒に県内のゴルフコースを回っている光景が、何度も目撃されています」

 実際に、かつて夫妻が住んでいた都内のマンションの登記を確認したところ、4年前の時点で成彬氏から恭子氏に財産分与がなされていたのである。

別居は40年前から

 当該の部屋を訪ねると、

「成彬は今、宮崎の方に住んでますので、今日はおりませんの」

 と、涼やかな声であしらう恭子氏。続いて成彬氏を電話で質すと、以下のように仰るのだった。

「いや、あの、離婚したのはだいぶ前でございましてね、彼女(恭子氏)に『宮崎に帰ろうよ』と言ったんですが、帰らないもんですから。『それじゃあ別れよう』となりまして……。それだけのことですよ」

“それだけ”とは、熟年離婚おそるべし。さらには、

「もう40年前にね、私は大蔵省を辞めて、政治家になろうと宮崎に帰ったんです。その時に『一緒に辞めて(政治活動を)やろうよ』と言ったんですけど、(恭子氏が)『私は(省に)残る』と言うのです。それなら、もう別れようという話にはなっていました。ですから、40年前から別居状態なのです」

 あっけらかんと宣うのだ。

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