なぜ“保守”の古谷経衡氏は「れいわ新選組」の代表選に出馬したか、ご本人に訊いてみた
れいわと自民党ハト派
ただし、古谷氏の出馬宣言では「なぜ、れいわの代表選に立候補したのか」という説明が充分に果たされているとは言いがたい。
そこで古谷氏に取材を依頼し、出馬を決断した理由を中心にインタビューを行った。
古谷氏は「政治評論も手がける作家として、どう現実の政治にコミットメントするかという問題は長年の課題でした」と振り返る。
「とはいえ、私が国政や地方議会の選挙、地方自治体の首長選挙といった『公職選挙法によって実施される選挙』に立候補してしまうと、文筆活動における公平性・客観性が疑われてしまう懸念があります。ですから今後、私がれいわから国政選挙に立候補するようなことはありません」
れいわの代表選や自民党の総裁選は党内の選挙であり、公職選挙法に従う必要はない。そのため1970年代の自民党総裁選では、公然と賄賂の授受が行われていたほどだ。
古谷氏は「あくまでも言論活動の一環として、れいわの代表選に出馬した」と言う。だがなぜ、れいわだったのか──?
「以前から、れいわを高く評価してきました。私が理想とする政治は『昭和の自民党における保守本流』です。池田勇人(1899~1965)が結成した宏池会(現・岸田派)や田中角栄(1918~1993)の木曜クラブは保守本流を自認し、『自民党ハト派』とも呼ばれました。この系譜に、1976年に自民党から離党した議員らが結成した新自由クラブを含めてもいいかもしれません」
山本太郎と小沢一郎
以前は「穏健保守」という表現も使われていた。今は「自民党リベラル派」と呼ばれることもあるが、2000年代の有権者は右傾化したとされ、今では“絶滅危惧種”という指摘も根強い。
「公明党は『自分たちこそ自民党ハト派の後継者だ』という自負を持っているかもしれません。確かにリベラルな政策も主張していますが、創価学会という宗教団体を支持母体に持っている以上、真性保守とは言えません。一方、山本さんは一時期、小沢一郎さん(80)とタッグを組んでいたことがあります」
自民党ハト派を代表する政治家として田中角栄を位置づけ、そのDNAが小沢氏に引き継がれたと見る関係者も少なくない。
これに対して「自民党タカ派」と呼ばれたのが清和政策研究会(現・安倍派)だ。そのため安倍晋三氏(1954~2022)の“タカ派”的な発言が話題になると、小沢氏が“ハト派”的な立場から反論、それをメディアが報じることもあった。
2014年、山本氏は小沢氏が代表を務める「生活の党」に参加し、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。2人の共闘は19年まで続いた。
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