柔道GSで阿部一二三の“宿命のライバル”丸山城志郎が優勝 だが試合内容について本人は
不参加だった大野翔平の去就は
73キロ級で五輪2連覇中の大野将平(旭化成=30)は今大会の目玉で、プログラムには「ついに復帰となったオリンピック王者大野」とあったのに、直前に欠場を発表した。急遽、「平成の三四郎」古賀稔彦さん(故人)の長男・古賀颯人(慶応義塾高校職員=25)がピンチヒッターで出場した。「準備はしていた」という古賀は橋本壮市(パーク24=31)に決勝で敗れたが、大熱戦で会場を沸かせた。
大野は東京五輪後、今年4月に行なわれた柔道日本一を決める伝統の全日本選手権(無差別)には姿を見せた。これは巨漢相手の一つの挑戦ではあったが、肝心の73キロ級には全く出ていない。
世界選手権、講道館杯にも出ず、「出場する」としていたグランドスラムも土壇場で欠場したため、さすがに「引退するのではないか」という憶測が強く出ている。
筆者は1日目が終わった時の囲み取材で、全日本代表チームの鈴木桂治監督に大野のことを尋ねたが、「プレスリリースの通りです」とだけ答えた。
プレスリリースには欠場理由として「コンディショニング不良」と記され、「日本代表に選出いただいたにも関わらず欠場することとなり、関係各所の皆さまにご迷惑をお掛けいたしますことお詫び申し上げます。ご期待に応えたいと大会出場に向けて精一杯準備をしてまいりましたが、日本代表として戦う心と身体を大会までに創り上げる事ができませんでした。今後については自分としっかり向き合い決めたいと思います」と大野のコメントも載っている。
6日、講道館(東京都文京区)で行われている国際合宿を視察した全日本柔道連盟の山下泰裕会長(日本オリンピック委員会会長)は、大野について「もし彼の中で試合に対する気持ちが湧けば、われわれにとっても大きな喜びだが、苦しむことはないとも思う。もう十分やったのではないか。一番大事なのは、彼が後々、後悔をしないこと。それは彼しか分からない。彼が決めること」と話したという。(スポーツニッポン:12月6日)
今大会、東京五輪に出られなかった選手の気迫が出場組を上回っていた印象だ。五輪代表組は男女4人ずつ、合わせて8人登場したが、優勝したのは阿部詩(日本体育大学=22)と素根輝(パーク24=22)だけ。五輪100キロ級金メダリストのウルフ・アロン(了徳寺大学職員=26)は1回戦で敗れ、女子78キロ級の五輪金メダリストの濵田尚里(自衛隊体育学校=32)も決勝で高山莉加(三井住友海上火災=28)に押さえ込みで敗れた。世界が恐れる「寝業師」が寝技で完敗したのだ。
この大会、スローガンはフランス語で書かれた「すべての道はパリへ」だった。東京五輪に出た選手、そして出られなかった選手の、パリ五輪代表争いは続く。
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