「名古屋刑務所で刑務官が暴行」報道を受け元ヤクザが秘話明かす「山本若頭が島倉千代子を慰問に呼んだ時の細木数子の一言」

国内 社会

  • ブックマーク

もっとも厳しい刑務所とは?

 先述のように名古屋では死亡事件が発生し、刑務官らが有罪判決を受けている。

「あのような痛ましい事件があったせいで懲役に対して厳しく接することができなくなっていたのか判然とはしませんが、現場が態度の悪い懲役の扱いに手を焼いていたことは間違いないでしょう」(同)

 竹垣氏によれば、現在もっとも厳しいのが神戸刑務所で、逆に一番緩めだとされているのが、沖縄刑務所なのだとか。LB刑務所、つまり執行刑期が10年以上かつ反社会的勢力など犯罪傾向の進んだ懲役が収容される刑務所では刑務官は特に規律を厳しく保とうとするのだという。

「トイレも含めて畳2枚くらいの広さしかなかったでしょうかね……。私は刑務所では常にマジメにというか規律を守った日々を送っていたので、刑務官も丁寧に接してくれていました。中には刑務所出てからも付き合いが続いた者もいますし、収容された若い衆が私の組織の名を出すと“よくしてもらった”とも聞きました」(同)

懲罰房に置かれていた1冊とは

 ヤクザは刑務所に出たり入ったりの業界だけに、そういった人間関係がモノを言うのだろう。ちなみに、なぜか懲罰房には松下幸之助著『道をひらく』だけが置いてあったという。

「佐木隆三さんが書いて、『すばらしき世界』という映画にもなった『身分帳』というノンフィクション・ノベルがありますね。身分帳とは、刑務所にいる懲役がその間、何をしたかについて事細かにメモされているもので実際に存在します。マジメにふるまえない者は身分帳にそのように記載されるので、シメられるターゲットとなりやすいと思います」(同)

 竹垣氏の服役していた頃の神戸刑務所は、平和が保たれていたのだろうか、こんなこともあったという。

「私が入っていた1979年ごろ、同時に竹中正久4代目山口組組長も懲役でした。当時は3代目の若頭補佐だったと思います。剣道の防具をマジメに作っていたと後に聞いたことがありました」(同)

山本若頭が島倉千代子を

 当時、3代目山口組の山本健一若頭は竹中組長をとても評価しており、可能な範囲で激励のイベントを行うようにしていたのです。

 その1つが慰問で、山本若頭が仲の良い島倉千代子さんを神戸刑務所に呼んだというか派遣したこともありました。その際にはあの細木数子さんも同行し、私らの工場にもやってきました。私たちの食事の中からたくあんをつまんで、“刑務所のたくあんって美味しいのね”と言っていたのが印象的でした」(同)

 細木さんは当時まだ40代で、テレビで「地獄に落ちるわよ」と言ってブレイクする遥か前のことになる。

「神戸刑務所では、工場の壁に『遵法精神』と大きく貼ってあってありました。もちろん懲役への戒めであるわけですが、今回のような事件が起こると、刑務官に対してもある種のブレーキのように作用していたこともあったのかなと思ったりもしますね」

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。