優勝したのに“クビ”に…わずか1年で解任された「悲運の監督列伝」
「バカヤロー!」
プロ野球の監督は「一度はやってみたい」男の夢だが、結果を出さなければ、1年でクビになることもあるし、過去には結果を出しながら、解任された監督もいる。【久保田龍雄/ライター】
就任1年目に優勝したにもかかわらず、解任されたのが、1960年の大毎・西本幸雄監督である。同年、大毎はチーム打率.261、チーム防御率2.65(いずれもリーグトップ)と投打がかみ合い、2位・南海に4ゲーム差の82勝48敗3分けで、前身の毎日以来、10年ぶりVを達成した。
だが、「大毎有利」といわれた日本シリーズで、大洋にいずれも1点差負けの4連敗を喫し、日本一を逃したことから、話がこじれてくる。
問題になったのは、第2戦で1点を追う8回1死満塁のチャンスに、谷本稔のスクイズが失敗し、捕ゴロ併殺に終わった場面だった。
ベンチの采配に不満を抱いた永田雅一オーナーは、試合後、西本監督に電話をかけ、「作戦が消極的過ぎるんじゃないのか? (大毎)オリオンズの看板は強力打線なんだから、打たせにゃいかんよ」とクレームをつけた。
すると、西本監督も「作戦面のことは、あくまで私の領分。あの場合はあれが正しかったのだ」と言い返し、口論に発展。永田オーナーは「バカヤロー!」と叫んで電話を切った。
「諸君には明日があるのだから」
この“バカヤロー事件”がきっかけで、西本監督は解任されたと伝わるが、派手好みの永田オーナーは、前年オフの監督就任に際しても、「そんな名もない男に監督がやらされるか」と一度は反対するなど、もともと両者は肌が合わなかった。
それでも、永田オーナーは「西本が私のところへ『悪かった』と謝りに来れば、もう1年チャンスを与えるつもりだった」という。一方、西本監督は4連敗後、「諸君には明日があるのだから」と選手たちを激励した。「自分には明日がない」とも解釈できる発言は、この時点で解任を覚悟していたことを窺わせる。
12月5日に退団が決まった西本監督は、62年に阪急、74年に近鉄の監督に就任し、両チームで優勝7回と一時代を築いた。
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