「わかるかなぁ」で一世風靡「松鶴家千とせさん」、浅草と「ツービート」への感謝【2022年墓碑銘】

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最近はラップにも挑戦

 一発屋と呼ばれても腐らず、慈善事業や慰問を続けた。

「戦後の浅草の黄金期を知る、数少ない生き証人だからこそ、浅草の活気を取り戻したい、自分を育ててくれた浅草に恩返しがしたいとの思いが強かった。お笑いのファンを増やすには生の舞台を見てもらうに限ると、英語を交えた童話で笑いをとったり、80歳を過ぎても新しい試みをして舞台に立ち続けた」(堀ノ内さん)

 アフロヘアは地毛が減ってかつらになったが、「うたとお笑い」と題した演芸会を浅草の木馬亭で毎月主催。1月末には歌手の恵中瞳さんとのCDも発売していた。

 風邪で体調を崩し、心筋梗塞で入院。容体が急変し、2月17日に84歳で逝去。

 最後のマネージャーだった角川清子さんは言う。

「1月の木馬亭公演も元気いっぱいで、ギャグも健在。2週間で退院する予定でした。師匠は毎朝ボイストレーニングをして歌いこみ、最近はラップにも挑戦。年男で張り切っていたのです」

 若いファンも増えていた。

デイリー新潮編集部

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