「わかるかなぁ」で一世風靡「松鶴家千とせさん」、浅草と「ツービート」への感謝【2022年墓碑銘】

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花開くまで20年

 38年生まれ。父親は設計技師。千とせさんは敗戦前に満洲から現在の福島県南相馬市へ。ジャズに魅せられ、高校時代に家出して上京。親切にも住まわせてくれたのが、漫才師の松鶴家千代若・千代菊の家だった。

 歌手にはならず漫才師に。70年代初め、もともと志していたジャズのノリを取り入れた漫談を考え出した。

 夕焼けは千とせさんが幼い頃に弟と満洲で見た風景、胸焼けは食糧難でさつまいもばかりを食べていた経験、霜焼けは母親の手の記憶がもとになっていた。

 演芸・演劇評論家の矢野誠一さんは思い出す。

「メルヘン漫談とも呼ばれて、詩情や心の温かさも伝わってきたものです」

 花開くまで約20年を要したが、芸に厳しい立川談志さんが独創性を高く評価したほど画期的な話芸だった。

 作家で演芸に造詣の深い吉川潮さんも言う。

「斬新でしたね。一方でキワ物の香りもしました。駄じゃれの要素もあり、面白いけれどもパターンが限られています。飽きられるのも早いのではと思いました」

 使い捨てられたかのように仕事が急減したのは応えた。81年に対人恐怖症と診断されたが妻子の尽力で回復。

 千とせさんがツービートと名付けたコンビ、たけしときよしにも感謝していた。

「たけしがテレビ番組に呼んでくれたり、きよしがCM出演に誘ってくれたり。立場が逆転したようですが、素直にありがたがっていました」(堀ノ内さん)

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