「わかるかなぁ」で一世風靡「松鶴家千とせさん」、浅草と「ツービート」への感謝【2022年墓碑銘】
満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。
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アフロヘア、あごひげにサングラス姿。黒人のミュージシャン風だが、正体は漫談家の松鶴家千とせ(しょかくやちとせ)(本名・小谷津〈こやつ〉英雄)。名前の方は純和風である。
シャバダバダディ~なんてスキャットも利かせながら、童謡「夕焼け小焼け」をジャズのリズムで歌い、「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんが胸焼けで、母さんが霜焼けだった」の語りで笑わせる。さらに「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」の言い回しで沸かせる漫談が大受け。これが1975年にレコード化、160万枚も売れて爆発的人気を呼ぶ。 昨年春、千とせさんは、ノンフィクションライターの堀ノ内雅一さんの取材に思い出を語り、本誌(「週刊新潮」)に特別読物として掲載された。
例えば、絶頂期の話。
「レコードに映画にCMも20社以上で、人生が一変しました。電話はボンボンかかってくるし、いわゆるダブルブッキングしちゃって、天下のNHKさんから、『こっちは1週間の出演を保証するんだ。向こうを断ってくれ』なんて無茶言われて、困ったもんです」
記事を執筆した堀ノ内さんも言う。
「1日にテレビ番組5本を掛け持ちし、ギャラは15分の出演で100万円にも跳ね上がった、と話してくれました。自慢気な様子はなく、懐かしがるわけでもなく謙虚な人でした」
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