元中日、近鉄の「尾上旭さん」逝去 「中日・巨人の天王山決戦」「伝説の10・19」に出場した“好打者”

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“起死回生型”

 11月20日、1982年にドラフト1位で中日に入団し、後に近鉄でもプレーした内野手・尾上旭さんが闘病の末、他界した。享年63。中央大在学時、ドラフト当日に中日指名直後の尾上さんからサインを貰って以来、長年にわたってご縁があった筆者は、早過ぎる逝去を心から惜しむとともに、選手時代の活躍シーンが脳裏に次々によみがえってきた。【久保田龍雄/ライター】

 銚子商時代の77年センバツ、大鉄(現・阪南大高)戦で劇的な逆転3ランを放ち、中央大時代の79年春には、優勝を決める逆転2ラン、81年の日米大学野球第1戦でも延長10回に劇的なサヨナラ弾と、思い切りの良い打撃とリストの強さが印象的な“起死回生型”の強打者だった。

 だが、プロ入り後の尾上さんの野球人生は、けっして順風満帆ではなかった。

 春季キャンプ初日からコーチにアッパースイングをダウンスイングに改造する特訓を受け、「僕の取り柄」という一発狙いを封印された。新打法になじめなかった尾上さんは後年、「私には、大学時代のホームランで決める野球が一番合っていたのかもしれない」と回想している。

 心労から体重が8キロも減るなど、苦闘の日々が続くうち、二塁の定位置はドラフト外入団のルーキー・上川誠二に奪われた。

 そんな試練のプロ1年目にあって、尾上さんが“名脇役”としてチームの優勝に貢献したのが、82年9月28日、巨人との「天王山決戦」である。

「尾上がよく四球でつないでくれた」

 2対6とリードされ、敗色濃厚だった中日は、9回に江川卓から4点をもぎ取って同点に追いつくと、延長10回にも敵失をきっかけに2死一、二塁とし、尾上さんに打順が回ってきた。ここで攻撃が途切れると、首位・巨人を2.5ゲーム差で追う中日は、負けに等しい引き分けになる。何としてもつなぎたい場面だ。

 緊張度マックスで打席に立った尾上さんは、ネクストサークルから「アキラ(旭)、オレに回せ!」と叫ぶ大島康徳の檄に応えるように、リリーフ・角三男から8球粘った末、際どいコースにバットを止めて四球で一塁へ。そして、2死満塁から大島が中前に劇的なサヨナラ打。球史に残る大逆転勝利だった。

「こんな試合ができるなんて。信じられません。きっと優勝ですよ」。当時の尾上さんのコメントどおり、この日、逆マジック「12」を点灯させた中日は、8年ぶりVを実現した。

 この話には不思議な後日談がある。

 現役引退後、銚子で広島風お好み焼き店を開いた尾上さんは、夜中に目覚め、何気なくテレビのスイッチを入れた。画面には大島氏が映っていた。身を乗り出して見入っていると、大島氏は「現役時代で最も印象深い試合」に前出の巨人戦を挙げ、「尾上がよく四球でつないでくれた」と感謝した。以心伝心とも言うべき“サプライズ”に、尾上さんが感激したのは言うまでもない。

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