長井秀和が初めて明かす「面会交流が途絶えてしまった息子のこと」「宗教家庭の影響もあった」
妻側の主張をすべて呑み込んだ
自分が当事者と思えない理由については、こう説明した。
「一番は、離婚の原因の一つに私の女性関係が含まれていた点です。夫婦関係が壊れる過程にはさまざまな要因があり、私から見て彼女の非だと思うところもありました。ただ、これから子供を育てていく元妻への批判が及ばないよう、最終的にはすべての責任を自分が被って別れることにしたのです。一方、共同親権導入を訴える人たちには、何の非もないのにある日突然、離婚を切り出され、強引に子供を連れて家を出られてしまう『連れ去り』の被害者も多い。そうした理不尽な思いをしている方々のケースと私はちょっと違うのです」
話し合いによる協議離婚の場では、元妻側が提示した条件をすべて呑んだという。
「慰謝料や財産分与分として約2500万円を一括で、また、養育費として毎月10万円を支払うという内容でした。向こうにも生活があるので、金銭面では納得していました。ただし、一回2時間、年に2、3回という面会交流の約束については、少なすぎると最初から感じていました。何があったにせよ、息子にとって父親は世界でたった一人の存在ですから」
それでも、面会交流は数年間続いたという。
「1年にたった4時間という限られた時間しか与えられませんでしたから、父親として息子に向き合うことは難しかった。まだ小さかった頃、息子にとって私は、会えばゲームを買ってくれる優しいおじさん。けれど、小学校高学年くらいになるにつれて会話が弾まなくなってきた。学校生活の様子について尋ねても、ぽつんと一言だけ返ってくるだけで途切れてしまう。ようやく打ち解けてきたと思っても時間切れで終了です」
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