江沢民死去で思い出す1998年11月26日の宮中晩さん会 日本人が不快感を覚えた中国の非礼

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弾圧と中山服の“関係”

 だが、週刊新潮の特集記事をよく読むと、短絡的に「中山服=非礼」と断じているわけではないことが分かる。中山服の秘められた“意味”を外務省幹部が読み解いたという内容なのだ。

 記事は、外務省幹部の《「なんだ、これは。まるで天安門事件の時の李鵬ではないか」》という激高から始まる。

《宮中晩餐会に「中山服」を着用して出席する──素人目には分からないこの何気ない行為に、実は大いなる意味が込められていることを中国問題にかかわる外務省幹部は一瞬にして理解したのである》

《ある外務省幹部がいう。「“天安門事件の時の李鵬”とは、あの民主化運動を弾圧した89年6月の天安門事件の時の李鵬首相のことを指しています。あの時、李鵬は民主化運動に同情的だった趙紫陽とは対照的に、鄧小平の指導の下、徹底的に学生たちを弾圧する側に回ります」》

《「ふだん李鵬は中山服嫌いで知られていたのに、軍を使って民主化運動を徹底弾圧した後、突如、黒い中山服を着て登場、威厳部隊を激励したんです。一時は警備兵に狙撃されたという情報さえ飛んでいた李鵬のその様子は中央電子台に映し出され、全世界が目撃した。つまり、中国の指導者にとって、中山服というのは、そういう厳しい姿勢を示すときに着用するものなんです。外務省内には、“よりによって宮中晩餐会に着てくるとは……”という声が期せずして上がりましたよ」》

早大も“批判”した江氏

 要するに江氏は、宮中晩餐会でも歴史認識問題に厳しい姿勢を示すことをあらかじめ決めていた。そのため“強硬姿勢”のイメージが演出できる中山服を選んだ、ということなのだ。

 繰り返しになるが、外務省幹部は単純に中山服を着たから非礼と怒ったわけではない。スピーチが日中友好を訴える内容だったなら、服の受け止めも違っただろう。

 天皇陛下を前にしてのスピーチがどれほど“非礼”だったのかを指摘した部分も引用しておこう。

《「政治とは関係がない国民の象徴としての天皇陛下に招かれた席で、“過去にあなたたちはこんな過ちをしたんだ”などと言ってのけるのは非礼以外の何物でもありません。常識として、どこかの家に食事に招かれた時、お前の親父にこんな迷惑を俺は受けたんだ、と言ってのける人がどれだけいるでしょうか。宮中晩餐会は首脳会談などとは異なるものです。中山服で出てきて、そしてこの“非礼”ですから、正直、驚きましたよ」(日本政府の中国担当官)》

 当時の首相は小渕恵三氏(1937~2000)。週刊新潮の特集記事には、小渕氏の母校である早稲田大学から名誉博士号を送られる予定になっていたのだが、江氏が“早稲田大学は日本でナンバー1の大学ではない”という理由で断ったという興味深い記述もある。

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