江沢民死去で思い出す1998年11月26日の宮中晩さん会 日本人が不快感を覚えた中国の非礼

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 中国の江沢民・元国家主席が11月30日、上海市の病院で死去した。96歳だった。中国の国営通信社である新華社通信によると、死因は白血病と多臓器不全。時事通信は12月1日、「日中関係後退させた歴史観 愛国教育で反日デモ拡大 江沢民氏」の記事を配信した。

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 記事は江氏の《対日強硬姿勢》を振り返ったもので、YAHOO!ニュースのトピックスにも転載された。該当部分を引用させていただく。

《江氏は98年8月、外交当局者を集めた会議で「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示》

《同年11月には国家主席として初の公式訪日で、「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国国民などに大きな災難をもたらした」と強い口調で歴史認識問題に言及した》

 時事通信は、江氏の歴史観はその後の中国政府の対日外交政策に影響を与え、《中国国民の反日感情を高め、2005年や12年に各地で吹き荒れた大規模な反日デモの下地になった》と指摘した。

 記事には《初の公式訪日》としか書かれていないが、江氏は1998年11月の訪日中、執拗に日本批判を繰り返した。26日に開かれた宮中晩餐会でも同じ内容のスピーチを断行し、日本国内ではかなりの異論が噴出した。

 改めて晩餐会の様子を振り返っておこう。産経新聞は同年11月27日、「宮中晩さん会 陛下、未来志向のお言葉 江主席なお過去言及」の記事を掲載した。

“異様な違い”

 まずは天皇陛下(現在の上皇さま)の歓迎の挨拶から紹介する。産経新聞は《未来志向》と評した。

《貴国とわが国が今後とも互いに手を携えて直面する課題の解決に力を尽くし、地球環境の改善と人類の福祉のため、世界の平和のため貢献できる存在であり続けていくことを希望しております》

 一方の江氏は、以下のような具合だった。

《近代史上、日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けました》

 江氏が離日した翌日の12月1日、産経新聞は社説で、この問題を取り上げた。「【主張】江沢民主席離日 後味の悪さは何だったのか」から引用させていただく。

《江主席は首脳会談や各界との会見をはじめ、宮中晩餐、早大講演、日本記者クラブでの記者会見など、ほとんどすべての場で「過去」に言及した。とりわけ、宮中晩餐では、天皇陛下が未来志向のお言葉を述べられたのに対し、「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み…」などと発言、その異様な違いが浮き彫りになった》

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