エレベーターで先に出てもらう、飲み屋の上座・下座などは全てムダ 妙な気遣いが「生きづらさ」の根源では(中川淳一郎)

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 人間、ラクに生きるのが重要だとつくづく感じました。「生きづらさ」って言葉があるじゃないですか。私の友人・N氏は、繊細な方で、「相手が自分をどう思っているか」を先回りして考えるため、気を使い過ぎてしまいます。

 先日N氏と歩いていると、唐津の川の上の橋に70歳ぐらいの男性がいて、釣糸を垂らそうとしています。私は「ここで何が釣れるのか」と「エサはこの辺で買えるのか」の2点を知るため、この男性に話しかけました。まぁ、九州弁ってところもあるのですが、江戸っ子のN氏にはそれが攻撃的に聞こえたのかもしれません。

「何が釣れますか?」「ハゼが釣れるかもしれんな」「ここは釣れる場所ですか?」「知らん。ただ、後ろにアレ(洪水防止の簡易堰)が今はあるから釣れんかもしれんな」「じゃあ、釣れるところに行けばいいじゃないですか」「ワシはここで釣りたいんじゃ!」「エサはどこで買いましたか?」「材木町にあるんや」「店名は?」「知らんって!」「ありがとうございました!」

 この後、すっかり黙り込んでしまったN氏。この男性のぶっきらぼうな口調が「我々に怒りを抱き攻撃している」と感じてしまったのです。私からすれば、いきなり喋りかけて質問攻めにする私の方が失礼だと思うのですが、N氏はそのように言いました。

 私は「相手がどう思ってるかなんて分からないですよ。別に『お前ら、オレ様に喋りかけんな! このたわけ者が!』なんて攻撃していないでしょ? オレはあくまでも二つの情報が欲しかっただけで、あのオッサンはそれをくれた。それでいいし、彼がどう思ってるかなんてどうでもいいです」と言いました。一応納得してくれたものの、「他人の心を勝手に予想し、落ち込むのはやめた方がいいですよ。それに、他人って自分に全然関心ないですから」とも伝えました。

 あと、私の妻も唐津に来客がある時、店に悩みます。「せっかく遠くまで来るんだから、イカとかがいいのでは。いや、佐賀牛がいいかな……」と。私は「イカはあるかどうか分からないし、食べたいなら一人で行けばいい。むしろオレらのなじみの店がいい。こっちがラクした方がいいよ」で終了。

 私は本当に他人がどう思うかなんて気にしません。エレベーターでなんとなく他人に先に出てもらう、とかいうカルチャーがありますが、アレも無駄。入口近くの人が出ればいい。飲み屋でも上座・下座とかありますが、そんなのも関係なし。先に来た人間が自分の好きな席に座ればいいだけです。それに、この二つの件について、誰も「人生で守るべき掟」なんて思っておらず、「いや、気を使わないでいいです」と考えている。あくまでも「失礼ではないか……」と勝手に相手が不快になる、と脅えているだけです。

 冒頭の「ラクに生きる」ですが、自分にできないことを規定してしまうのも手です。私の場合、身近なところでは食器洗いと洗濯。これは妻がいる時はやってもらいます。その代わり、食事作りと便所掃除は私がやる。そして互いに部屋の掃除は苦手なので、この12年間、常に「汚部屋」であり続けていますが、二人とも快適です。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2022年12月1日号掲載

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