薬から人工衛星まで 光学技術で「製造」を変える――馬立稔和(ニコン社長)【佐藤優の頂上対決】

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次はデジタル露光装置

佐藤 もう一つの戦略事業、コンポーネントは、どんな事業ですか。

馬立 単純に言うと「部品」を売ろうということです。これまで弊社は最終製品を作り、「Nikon」のロゴを付けて売るのが事業のあり方でした。でもいまは、さまざまな新しい技術が生まれ、光学分野や精密分野の部品のニーズが高まっている。そこでそうした部品やモジュール(ひとまとまりの部品)を装置メーカーに提供することにしたのです。

佐藤 供給先では、それがないと製品が作れなくなりますね。その点で生殺与奪権を握ることになる。

馬立 もともとどのメーカーも自社のサプライチェーンの中で部品を調達していました。でも最近の装置は機能や精度が上がって、調達しにくくなっていた。そこで私どもが「御用はありませんか」と聞いて回ったら、「ちょうどいいところにきた」となった(笑)。

佐藤 これは鈴木宗男事件に連座して捕まった時に検事から教えてもらった話ですが、大規模な入札で希望する企業に落札させる「スペックイン」という方法があるそうです。仕様書の段階で、特定の企業しか調達できない部品を入れておくんですね。するとそこと組んでいる商社にしか落札できない。

馬立 つまり仕様書次第になる。

佐藤 そうです。それと同じで、替えの利かない部品を一つでも持っていれば、非常に強い立場になります。

馬立 弊社もキーとなる部品を水平的に供給していきたい。やはり会社としてフットプリント(占有領域)を大きくすることは重要ですから。

佐藤 具体的に、どんな部品がありますか。

馬立 半導体を製造する最先端のEUV(極端紫外線)露光装置関連の光学部品が大きく伸びています。2022年3月期には、コンポーネント事業全体で前年比100億円以上の利益増になりました。

佐藤 ニコンはそのEUV露光装置自体の開発を目指されていたこともありますね。

馬立 長らく開発に取り組んできましたが、2011年にやめました。半導体生産における露光装置の役割は、原版に描かれた回路パターンをシリコンウエハー上に転写することです。最先端のEUV露光装置は非常に細かい回路まで転写できる。ただその時点では実現できるかわかりませんでしたし、開発には巨額の資金とリソース(資源)の投入が必要でした。その体力がなかったんですね。

佐藤 引くことも大事な経営判断です。

馬立 現在は、EUV露光装置の前に最先端だったArF(フッ化アルゴン)液浸露光装置と、それより少し解像度の低いArF露光装置をメインに事業を展開しています。

佐藤 必ずしも最先端である必要はない。

馬立 半導体はさまざまなレベルのものの組み合わせで生産されるので、需要はコンスタントにあります。現在のところは、事業として安定しています。

佐藤 半導体のサプライチェーンの再構築が進んでいることも追い風になっているでしょうね。

馬立 弊社はさらにその先への挑戦として、デジタル露光装置の開発を進めています。従来のものは半導体ごとに原版を作り変える必要がありました。それを、原版を使わず直接ウエハー上に設計データを転写する。これにより半導体の試作期間が短縮されますし、多品種少量生産も可能になります。先ほどお話しした3Dプリンターと同じ発想です。

佐藤 多品種少量生産は、一つの方向性としてあるのですね。

馬立 基本的に半導体も大量生産することでコストを下げてきましたが、現在は特定の目的のための半導体の要請・要望がものすごくあります。それに対応するのに、一つひとつ原版を作っていては時間がかかりますし、コストも高くなる。よりフレキシブルに対応できるデジタル露光装置は、次世代の半導体生産システムになっていくと思います。

佐藤 だいたいどのくらいで完成しそうですか。

馬立 すでにプロトタイプ(原理検証機)はできていまして、向こう3年くらいでお客様先でテストができる段階を目指しています。その後、広く普及するには10年くらいはかかりますが。

佐藤 10年ならすぐです。お話を伺って、ニコンはこれから大きく変わっていくのだとよくわかりましたが、このデジタル露光装置に限らず経営全般において、だいたい何年先を見通して物事を決めておられるのですか。

馬立 それも10年ですね。20年先はわからない。2000年に現在のことは、予測できなかったと思いますね。

佐藤 20年前にスマートフォンがこれだけ普及しているとは、誰も想像できなかった。

馬立 半導体は「3年先は誰もわからない」と言われる業界ですが、5年くらいは経営計画が立てられます。ただそのためには方向性を定めねばなりません。それには10年先を見ておかなければならない。

佐藤 実は10年というのは、インテリジェンスの世界も同じです。10年なら、今いる人がどこで何をしているか、ある程度予想がつく範囲なんですね。それを超えると、学者の世界になっていきます。

馬立 ニコンの歴史を振り返ってみると、どの時代でも社会の要請に応えてきた会社といえます。カメラも露光装置もそうです。今後、ニコンは変化していきますが、社会の要請に応え続ける点は10年後も同じだと思いますね。

馬立稔和(うまたてとしかず) ニコン社長
1956年福岡県生まれ。東京大学工学部卒、同大学院電気工学修士課程修了。80年日本光学工業(現・ニコン)入社。一貫して半導体装置事業に携わり、同事業の事業部長などを経て、2005年執行役員、12年常務執行役員。19年より代表取締役兼社長執行役員。

週刊新潮 2022年11月24日号掲載

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