「W杯出場ゼロ」の天才・家長昭博 「本田圭佑を星稜送りにした」と言われる苦労人の生きざまとは
サッカーW杯が開幕。話題になるのは大金星となったドイツ戦で活躍した選手たちだが、もう一人、注目していただきたい人物がいる。
【夫人の写真を見る】流れが変わったのは後半12分、“新婚”の「三笘」投入 夫人である「剱持クリア」さんにとってもうれしい一戦となった
家長昭博(36)。生年月日は1986年6月13日。かの本田圭佑と同じ日に生を受けたサッカー選手である。
才能の開花は早かった。
「小学校卒業と同時にガンバ大阪ジュニアユースに入団しました」
とサッカーライターが語る。
「実はそこに本田もいました。ともに左利きで、トップ下という同じポジション。家長の補欠扱いでした」
ユースには家長が合格。不合格になった本田は星稜高校に進み、研鑽を積んだ。
のちに“本田を星稜送りにした男”との異名を持つに至る家長の快進撃は続く。ユースに籍を置きながらトップチームにも登録することを「2種登録」というが、彼は史上初めて2種登録でJ1ゴールを決めた。2007年3月にはオシム監督に招集され国際Aマッチにも出場を果たす。しかし、
「好不調の波が大きく、定着には至りませんでした」
本田がサッカー界の顔役となる一方で…
一方、高校を卒業した本田は名古屋グランパスで頭角を現す。U-23代表でも主力となり、08年北京五輪に出場。以後、W杯に3大会連続で出場するなど日本サッカー界の顔役となった。
家長の方はガンバでレギュラーを取れず、大分トリニータを経てセレッソ大阪に移籍。そこでJリーグ優秀選手賞を受賞する活躍をみせるも、勢いづいて飛び込んだスペインでまた足踏み。それから韓国、ガンバに戻り、再びスペインと渡り歩くが精彩を欠いた。が、
「14年、大宮に加入。チームはJ2陥落するも、家長は輝きを取り戻し、1年でJ1復帰。翌年もチーム一の点獲り屋になりました」
そして今、彼は常勝軍団・川崎フロンターレをけん引している。リーグ連覇した18年にはMVPに。受賞式では本田からのビデオメッセージが流れた。
ベストイレブンに選出
その本田だが、今年は所属が決まらずピッチに立てずじまい。にもかかわらず、カタールの地を踏んだのは、選手としてでなく解説者として。11月17日にはカナダとの強化試合をスタンドで観戦。10月に膝を手術したため松葉づえ姿だった。
同じ日、家長はSNSで、
〈期待に応えられず悔しいシーズンになりました。(略)また自分の歩幅で成長していこうと思います〉
と、3連覇を逃し2位に甘んじた今季を総括するも、
「自己最多、リーグ3位の12得点で、ベストイレブンに選出。これまでW杯には予選も含め出場したことは一度もありませんが、素晴らしいシーズンを送りました」
夢舞台に立つ男たち。栄えある彼らの背後にも多くの人々の生きざまがある。