「ハイサイおじさん」の喜納昌吉、なぜ沖縄から嫌われる? YMOにも影響を与えた異能の音楽家の半生

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「すべての武器を楽器に」を合言葉に平和運動を繰り広げてきた喜納昌吉(きなしょうきち)。だが、この沖縄を代表するミュージシャンの姿は「本土復帰50周年」のイベントになく、いまや沖縄から排除されつつあるという。信念を貫き、独自の道を歩み続ける孤高の異端児の音楽と思想。

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 沖縄を旅したことのある人なら、喜納昌吉(74)が作った「♪ハイサイおじさん、ハイサイおじさん♪」で始まる沖縄音階の軽快なメロディーを、ホテルやビーチ、街中の飲食店や土産物屋の店頭で必ずや耳にしているはずだ。

 いや、このメロディーを聴くのは沖縄だけとは限らない。故志村けんの代表的なギャグ「変なおじさん」もこの歌の替え歌だったし、甲子園でもっとも頻繁に演奏される沖縄県代表の応援歌も同じメロディーである。沖縄発のもっとも有名な曲といってもいい。

 今年7月22日に放映されたNHKのドキュメンタリー番組「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」では、「沖縄が熱く燃えた夏~甲子園に託した夢~」と題して、この「ハイサイおじさん」が甲子園の応援歌としていかに重要であるかが伝えられ、歌にまつわるさまざまなエピソードが詳しく紹介された。

 それによれば、1990年夏、沖縄勢として決勝に初進出した県立沖縄水産高校を応援するため、関西の沖縄県人会が選んだ「ハイサイおじさん」が甲子園で演奏され、同校は準優勝を果たす。

興南の連覇にも貢献?

 それ以後、「ハイサイおじさん」は応援歌として甲子園ですっかり定着する。

 2010年、那覇市の私立興南高校が春の選抜大会で優勝するが、この時も「ハイサイおじさん」が応援を盛り上げたという。興南は夏の大会にも出場し春夏連覇を狙うが、大会が始まってから、沖縄の地元紙に「『ハイサイおじさん』は酒浸りの男の話だから高校野球にふさわしくない」といった趣旨の投書が掲載され、興南高校の応援団はこの曲の不使用を決める。

 ところが、県民や応援団のあいだから、「ハイサイおじさん」抜きでは応援が盛りあがらないという声が上がり、8月20日の準決勝、21日の決勝では、一転してこの曲が演奏された。沖縄勢の士気は高まり、「ハイサイおじさん」は興南の春夏連覇に大きく貢献した、といわれている。

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