麻雀中も握力強化、始球式の1球のためにブルペンで投球練習 村田兆治さんの“求道者のようなストイックさ”を元チームメートらが証言

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何事にも手を抜けないタイプ

 200勝は89年に達成した。その試合で二塁を守った上川誠二氏(62)は、

「私が中日からロッテに移籍した際、“かみ、かみ”と声をかけてくれたのが村田さんで、通算200勝を挙げた試合は思い出深かった。3点リードされていたのを私の3ランで追いつき、その後も私が活躍して勝てたのです。試合後、私の肩を何度もたたいてくれました。200勝は難産だったので、うれしさもひとしおだったと思います」

 と述懐する。村田さんほどの求道者も、大きな節目の前には緊張するのか。だが、上川氏はこうも言う。

「すごい繊細な一面もありました。登板試合で負けが続くと、一人悩み考え込むようなタイプだったと記憶しています。そうなると周囲もちょっと近寄りがたいような雰囲気を感じたものです。私から見れば大先輩なので、励ますようなこともできませんでした」

 一般に、わき目も振らずに突き進む求道者タイプは、妥協するのが苦手なだけに、他人にも自分にも厳しくなる。村田さんも負けが続くたびに、自分を責めていたのだろうか。元ロッテの選手、得津高宏氏(75)は、こんなエピソードを語る。

「福岡ダイエーホークスのピッチングコーチ時代(95~97年)の兆治は、バッティングピッチャーを務めるときも全力で剛速球を投げ、打者を困らせたという話です。兆治はそんなときでも、打者に合わせて緩いボールを投げられない人間。離島の子供たちに野球を教えるのを生きがいにしていましたが、子供の指導も同じスタンスで、技量に合わせて緩いボールを投げてあげられない。手が抜けない一生懸命さが兆治のよい面でもありますが、周りが見えなくなる面もありました」

「俺は40代でも140キロ台のボールを投げるんや」

 ところで、村田さんが現役引退後に「監督をやりたい」と話すのを、複数のメディア関係者が耳にしているが、野球界には聞いた人がいない。木樽氏は、

「監督をやりたがっている、といううわさを聞いたことがあって、本心を確かめるために一度だけ電話をかけました。すると“先輩、そんなことはありませんよ”」

 阪急の外野手として、村田さんとたびたび対戦した福本豊氏(75)が語る。

「名球会の会合で会うたびに、“俺は40代でも140キロ台のボールを投げるんや。決め球のフォークを投げ続けるために、日ごろから指を鍛えるべく、人差し指と中指の間に一升瓶を挟んで、ボールを投げる動作をするトレーニングを、欠かさず続けている”と話していました。野球に取り組む姿勢が真面目すぎて、球団から監督のオファーがなかったのかもしれませんね」

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