麻雀中も握力強化、始球式の1球のためにブルペンで投球練習 村田兆治さんの“求道者のようなストイックさ”を元チームメートらが証言
夜中にチームメートを起こし「投球フォームを見てください」
やはり、村田さんと入団時からの付き合いだったのが、元ロッテ投手の木樽正明氏(75)で、
「村田君との出会いは、彼が高卒でロッテに入団したときまで遡り、若い時分から弟のようにかわいがってきた思い出があります」
と言って、回想する。
「入団当初の印象は、投げるボールはとにかく速いが、制球力に欠ける。そのせいで、1軍になかなか昇格させてもらえない時期がありました。入団3~4年目の春キャンプだったかな、一連の投球動作で、体が早く開くクセを矯正するために、例のマサカリ投法を自ら編み出したんです。体が早く開くと、どうしても制球力が乱れ、現にコーチ陣からそういう指導を受け、彼自身、それを痛感していたのだと思います」
そして、春キャンプではいつも村田さんと相部屋だったという木樽氏の話ぶりが、熱を帯びてくる。
「ある夜、消灯して寝入っていると、村田が突然部屋の照明をつけて、布団をどかして“木樽さん、(投球フォームを)ちょっと考えました。いまからシャドーピッチングをやるんで、ちょっと見てください”と言うではありませんか。そこで、あのマサカリ投法が披露されました。私は間髪を入れず“おい、ちょっとカッコ悪いよ”と言いました。そんなたわいのない会話が続くなか、“でもちょっと、やってみたいんですが”と言う村田は、マサカリ投法に強いこだわりを持っているように見受けられた。“そうか、そこまで言うなら頑張ってみろよ”と、励ました思い出があります」
麻雀中も握力を強化
努力の末に、この投法で大成した村田さん。体がかなり柔軟でないと、あんな投げ方はできないに違いないが、生き方は必ずしも柔軟ではなかったようだ。
「いったん信じたことには、わき目も振らず突き進むタイプですが、野球にしても人生にしても、器用な人間ではありません。たとえば、ピッチャーゴロも上手にさばけずに、センター前にヒットを許した場面も少なくありません。私が投手コーチのときは一つでも多く勝たせたい一心で、“ピッチャーゴロを捕球できなくても、左手のグラブを伸ばしてボールに触れれば、内野手が処理してくれるから”と諭して、守備練習に付き合ったものです」(木樽氏)
その後、全盛期に肘を壊すのだが、村田さんが渡米して手術を受けた翌年、ロッテの投手コーチに就任した佐藤道郎氏(75)が言う。
「その年はリハビリが長引き、兆治はほとんど登板できませんでしたが、翌85年、17勝して見事にカムバック賞を受賞しました。春キャンプからオープン戦まで好調をキープし、稲尾和久監督は私に“開幕試合の先発は兆治でいいな”と告げたのですが、私はちゅうちょしました。ブルペンを預かるコーチとしては、兆治が開幕試合で力んで再び壊れるのが嫌だった。私は“シーズンは長いので、兆治は3戦目でお願いします”と食い下がり、稲尾監督は渋々承諾した次第です。ところが開幕から2日続けて雨天中止で、兆治が登板した日曜日が開幕になったのです」
その後、佐藤氏は、村田さんの登板間隔を何日空けるべきか悩み、
「長く兆治のトレーナーを務める河原田明さんに“中5日でいいですか”と相談すると、“そしたら6日ちょうだいよ”。それで兆治の先発は毎週日曜になって、サンデー兆治といわれるようになったんです」
そして、こんなエピソードも披露する。
「兆治は200勝して名球会入りしたくて仕方なかった。二言目には“勝ちたい、勝ちたい”。麻雀のときは、右利きなのにいつも左手で牌をつかむんです。一方、右手ではゴムまりを握って、利き手の握力強化に余念がありませんでした」
[2/4ページ]