麻雀中も握力強化、始球式の1球のためにブルペンで投球練習 村田兆治さんの“求道者のようなストイックさ”を元チームメートらが証言

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トミー・ジョン手術を経て復帰したさきがけ

 今月11日、プロ野球ロッテオリオンズで投手として活躍した村田兆治さん(72)が自宅の火事で亡くなった。村田さんをよく知る人物たちに話を聞くと、現役時代も引退後も、恐るべきストイックさで生きてきた姿が見えてくるのだ。

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 村田さんのキャリアを改めて振り返ろう。代名詞は左足を高く上げ、右手を大きく振り下ろすマサカリ投法で、通算成績は215勝177敗33セーブ。最多勝1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回など、獲得したタイトルも数多い。

 それでも、より多くの人の記憶に強く残っているのは、1983年に左腕の腱を右肘に移植する、いわゆるトミー・ジョン手術を受けたことではないだろうか。選手生命を危ぶまれながらも85年には、開幕から11連勝、シーズンを通して17勝5敗という成績を残し、村田さんの伝説にいっそうの箔がついた。

 中6日で日曜に先発するため、「サンデー兆治」の異名をとるとともに、いまでは大谷翔平をはじめ、多くの選手が当たり前に受けるトミー・ジョン手術を経て復帰したさきがけとしても記憶されている。

「とにかく一生懸命、やりすぎるくらいやる」

「選手としてすごかったのは、やっぱり剛速球とフォークボールの二つ。いまはカットボールとかスライダーとか、みんないろんな球種を投げるけど、彼はこの2種類だけ。それで200勝もしたんだから、剛速球のピッチャーと言っていいんじゃないの? そのための努力も惜しまなかった」

 とはロッテオリオンズでチームメートだったこともある張本勲氏の村田投手評だが、若き村田さんを知る人は、みなその「努力」を評価する。

 ロッテオリオンズ時代のある先輩が話す。

「彼は私より5歳年下で、おたがい高卒プロ入りの間柄。彼が入団した当初から、気が合った思い出があります。最初は広島の田舎からそのまま出てきたような感じの若者で、素直さがあって、あまり話をしない寡黙なタイプ。プロ1年目の自主トレから、毎日課せられるランニング練習でも常にトップを力走。こいつは将来大成するだろうな、と予感しましたが、まさにその通りになりました」

 元ロッテのトレーニングコーチ、池田重喜氏(76)も述懐する。

「とにかく一生懸命、やりすぎるくらいやる。目標に向かって、のめり込んで突進するタイプです。春キャンプの紅白戦への登板でさえ準備を怠らず、雨の日でも黙々と練習メニューをこなしていました。ほかの選手と比較できないほど野球一筋。徹底して自分を追い込んで鍛え抜きました」

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