亡くなった村田兆治さん、6月に見せていた“異変” 近年は「うつっぽかった」の証言
「10年ほど前まで奥さんもいらっしゃった」
村田さんは近年、この家で一人暮らしだった。
「十数年前、村田さんの奥様から電話で、“私も忙しいし、主人も出たり入ったりだから、自治会を抜けたい”というお話があり、自治会の電話番号を案内しました。その翌月くらいから、回覧板にあった名前がなくなっていました」
そう話すのは近所の女性(84)で、それからしばらくして、妻の淑子さん(74)の姿を見なくなったという。
「10年ほど前まで奥様もいらっしゃいましたが、いまはお一人。奥様は関西のご実家でご両親の面倒を見ていると、村田さんがおっしゃっていました」
と別の女性は言い、またほかの女性も、
「男女一人ずつのお子様は結婚して独立され、奥様はご実家が神戸で、お父様のお世話で帰られていると聞いていました」
と話す。かつて家族で賑やかに過ごした家に、古希を過ぎて一人で住んでいれば、寂寥感に囲まれないとは思えない。妻も子供たちもよそに健在であるだけに、一人取り残された気持ちにならなかっただろうか。
「6月に会ったときに気になったことが」
また、野球に対する一途な姿勢は、必ずしもプライベートの生活における幸福には、つながらなかったようだ。ロッテオリオンズ時代のある先輩は、
「10年くらい前から奥さんと一緒に住んでいないと聞きました」
かつてのチームメイトの一人も言う。
「航空会社のグランドホステスだった奥さんの淑子さんは村田の野球活動をずっと支えてきて、内助の功なくして村田兆治はなかった。頭脳明晰で、常に一歩下がり、後ろから村田の話によく耳を傾けていました。離婚したのではないか、という話も聞きましたが、そこは確認できていません」
元ロッテ投手の木樽正明氏(75)は、2年前に出版した自著『野球の力』の出版記念パーティーを、今年6月12日に開いた際の村田さんの様子を、こう話す。
「いつも通りに元気で、私に“先輩、先輩”と連呼し、あのエネルギッシュなキャラクターを見せてくれました。気になったのは顔がむくんでいたことで、“おまえ顔がむくんでるよ。体調を悪くして薬でも服用して、その副作用なのか”と聞くと、“いや、ちょっとね”と含みを残すような返事で、心臓の病気のために薬を飲んでいるんだろうな、と邪推した次第です。そのとき私の家内には、淑子さんの母親が要介護者らしく、田舎に戻っていると話していたらしい」
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