日本の半導体産業を復活させるには何が必要か――太田泰彦(日本経済新聞編集委員)【佐藤優の頂上対決】
日本はなぜ衰退したか
佐藤 その中で、いま日本はどんな位置にあるのですか。
太田 半導体を作るには、当然、材料が必要ですし、半導体に特化した製造装置が要ります。この分野は日本が強い。回路を載せるシリコンウエハーなら信越化学工業とSUMCOが世界で大きなシェアを占めていますし、製造装置では東京エレクトロンなどが有名です。
佐藤 日本の半導体産業はかつてメモリが非常に強く、製造機器は露光機なども大きなシェアを占めていました。それが衰退してしまったのは、どこに原因があったのでしょうか。
太田 三つあると思います。一つは1980年代の日米半導体摩擦で、不平等条約に近い不利な協定を結ばされてしまったことです。アメリカは当時から半導体が国家安全保障に関わる戦略物資だと考えていたので、業界を必死に守ろうとしました。これに対し、日本は「安くていいものを作ればいい」くらいにナイーブに考えていたんですね。これで時間を失ってしまった。
佐藤 ここぞ、という時には、アメリカは国家のすごみを出します。
太田 それからやはり政策の失敗も大きい。半導体産業はアップダウンが激しく、苦しい時もあるのですが、それでも投資すべき局面があります。そこは政府が後押ししなければならない。
佐藤 支援が適切な時期に適切な規模でなされなかったのですね。
太田 三つ目は、日本では半導体を総合電機メーカーが作っていたことです。日立も東芝も、重電から家電まで扱い、さらに半導体も作っていました。私はこれが衰退の最大の要因だと思います。
佐藤 確かに総合電機メーカーの事業は幅広く、家庭用洗濯機から原子炉まで作っています。
太田 彼らの主力事業である重電では、電力会社や鉄道会社などの需要を5年先、10年先まで見ながら設備投資をしていきますね。
佐藤 計画経済に近い。
太田 その通りです。でも半導体は、儲かったり儲からなかったり、振幅が大きいシリコンサイクルに振り回されます。すると、総合電機メーカーの中の部門としては浮いてしまう。結果として事業を続けられなくなった。
佐藤 つまりリストラの対象となる。
太田 総合電機メーカーという形態である以上、致し方ないことかもしれないですが、それが日本の半導体産業の悲劇だったと思います。
佐藤 日本でもファウンドリーを作ろうとしたことはあるのですか。
太田 1990年代末に台湾のある企業と総合電機メーカーが組んで始めようとしています。でも数年でやめてしまったんですよ。
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