村田兆治さん宅の焼け焦げたバーベルが物語るもの “事件”の後はひとり家にこもりがちに
11月11日の未明、東京・世田谷区成城の一軒家から火の手が上がった。火元となったのは元プロ野球選手の村田兆治さんが一人暮しをしていた自宅である。
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「健康オタクで、生真面目な人だった」
村田さんは消防隊員が駆け付けた時にはすでに心肺停止の状態で、病院に搬送後、死亡が確認された。死因は一酸化炭素中毒。72歳だった。
現役時代の村田さんは、“マサカリ投法”とよばれる独特のフォームで知られ、140キロを超す剛速球と、鋭く落ちるフォークボールを駆使し、プロ通算215勝を挙げた大投手だった。
当時を知らない野球ファンにとっても、村田さんはリスペクトの対象であり続けた。
何歳になってもトレーニングを欠かさず、たまにマウンドに登る機会があれば、年齢からは考えられないような速球を披露していたからだ。還暦をとうに過ぎて登板した2016年の始球式では130キロ以上の速球で観衆及び現役選手らの度肝を抜いている。
2011年、還暦を迎えて間もない村田さんを取材した記者は、
「健康オタクで、生真面目な人だった」
と振り返る。
「まだフォークボールだって投げられる」
健康法に関するインタビューの現場に、当時61歳の村田さんは愛飲していたミネラルウオーターのペットボトルやお勧めの食材を持参。
いまだに140キロ近い速球を投げられる秘訣(ひけつ)として「食」の重要性をとうとうと説いていた。
「人間、最後は体力だ。肘を手術してからはなおのこと、そう思った。体力を保つには、疲労回復力が重要。それにはバランスの良い食事が大切だ」
「昭和40年代からお金を払って水を取り寄せて飲んでいたのは、野球界では自分だけだったかもしれない。宅配便が嫌がっていたほどだから。いまは朝起きると、まず久米島(沖縄)の海洋深層水を飲み、お茶やコーヒーには三重の軟水。たまに硬水も飲むが、これはお茶には向かない。たしかに食費はかかる。だけど、将来の自分への貯金だと考えればいい。誰が作っているかも調べ、吟味するのは楽しいし、安心してうまいものに感動できれば元気になります」(「週刊新潮」2011年3月10日号)
村田さんはその場で
「柔軟性なら今でもほら」
と、椅子のひじ掛けに両足をかけて180度の大開脚を披露。
「まだフォークボールだって投げられる」
と、持参したリンゴを指で挟んで見せてくれたそうだ。
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