“吊り出し”で知られ、人生を宗教にささげた力士・明武谷 「エホバのご意志を知ると…」相撲を諦めた理由は(小林信也)

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 昭和の土俵には個性豊かな「役者」がそろっていた。相撲少年だった私の記憶に深く刻まれているのは、「けたぐりの海乃山」、そして「吊り出しとうっちゃりの明武谷(みょうぶだに)」だ。

 令和の現在も小兵ながら「くせ者」と呼ばれる人気力士は多い。けれど海乃山や明武谷はそう呼ぶには地力があって強すぎた。

 海乃山が一瞬にして相手力士を土俵に這わせた相撲に目を丸くした。何が起こったのか? アナウンサーの説明で、やっとわかった。海乃山の左足が相手の足元を鋭くはらった結果だった。それにしても、見事な切れ味。海乃山はその「けたぐり」で無敵の横綱・大鵬も倒している。1965年3月場所6日目。立ち合い、当たってすぐ右に体をかわし、大鵬の左脇に潜りながら左足を飛ばした。それが大鵬の左足を捉えると、あの大鵬が呆気なく土俵に右手をついた。

 上位陣を次々に破った67年11月場所5日目には驚くべき一番もあった。相手はいま解説で人気、後の横綱・北の富士。立ち合い、当たった次の瞬間、海乃山が左足を飛ばした。その足は届いていないのに、右からのひねりが強烈に効く形になったのか、北の富士はもろくも前のめりに倒れた。

 その海乃山と明武谷の印象的な一番がある。61年9月場所、7日目。ここまで唯一全勝の海乃山を2敗の明武谷が止めた。機敏に動く海乃山を、両まわしをつかんで抑えるとすぐ吊り上げる。一度はこらえる海乃山。だが明武谷はもう一度引っ張り上げ、土俵の外に吊り出した。

 海乃山に勝った明武谷は快進撃を続け、12勝3敗。大関の大鵬、柏戸、二人の大スターと三つ巴の優勝決定戦を戦った。新入幕から6場所目の明武谷が日本中の注目を浴びた。

 明武谷はまず柏戸と戦って敗れた。次に大鵬が柏戸を破り、大鵬は明武谷にも勝って、優勝を決めた。賜杯にこそ届かなかったが、場所後にそろって横綱に昇進した大鵬、柏戸とともに晴れ舞台に上がった明武谷の人気は一気に高まった。

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