前田大然の母が明かす「サッカー部除籍事件」、母が結婚指輪を売って育てた浅野拓磨 「森保ジャパン」メンバーの濃すぎるファミリーヒストリー

スポーツ

  • ブックマーク

3年間「空き缶集め」で家計を助けた浅野

 この前田とFWの位置を争うのが、得点時の「ジャガーポーズ」で知られる浅野拓磨だ。彼の場合、二人とは別の意味での“苦労人”。男6人女1人の7人きょうだいの三男に生まれ、両親合わせて9人の大家族で育った。

「彼が大家族で育ったことはちょっとした驚きでした」

 と言うのは、サンフレッチェ広島のオフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』の中野和也・編集長である。

 浅野は三重県出身の28歳。高校卒業後、サンフレッチェでキャリアをスタートさせ、6年前にドイツに拠点を移し、現在はボーフムでプレーしている。

「お父さんは長距離トラックの運転手で家に戻ってこられるのは週に1~2回ほどだったとか」

 母親が一家を切り盛りし、食べ盛りの子どもたちの食事として、お米は毎食7~8合、餃子を120個、鶏肉は1・5キロも揚げていたという。

 高校はサッカーの名門・四日市中央工業に進むが、

「遠征費などで高額の出費が必要。浅野選手は家計に負担をかけないよう、3年間『空き缶集め』をしたそうです。空き缶を集め、リサイクルの機械に入れて出てくる10円玉をためる。8千円ほど貯金箱にたまったところでお母さんに渡していたとか。まるで梶原一騎原作のマンガから飛び出してきそうな選手ですね」

兄はパン屋をオープン

 母上も母上で、6年前の本誌(「週刊新潮」)の取材時には、自身も結婚指輪を売って生活の足しにしたというエピソードを披露。また、プロ入りし、高収入を得るようになった息子は以前にもまして家族の援助に力を入れるようになり、月に10万円を入れ、先日はワゴン車もプレゼントしてくれた――とも話していた。

 今でも家族の絆は強く、

「拓磨から勧められて、今はパン屋の店長をやっています」

 と語るのは、浅野のすぐ上の兄、晃平さんである。

「僕はサラリーマンをしていたんですが、拓磨から“兄ちゃん、パン屋どう?”と提案されて。考えてみれば、母は僕らが子どもの頃、いつも家族分の食事を作り、自分は一人で冷えたパンを食べていた。そんな母にあったかいパンを食べさせてあげたいという思いもあって、2年前に店をオープンしたんです」

 オーナーは浅野、店長が晃平さんで、店名は「朝のらしさ」というそうだ。

「オーナーと店長という立場ですから、業務についてはよく話し合っていますよ。ただ、店を始めてからは朝4時に起きて仕込みを始めるため、夜中に流れる拓磨の試合を見る機会が少なくなったのが残念で……」

 と言う。

「メンバーに拓磨の名が呼ばれた時には、ホッとしました。けがもしていましたから不安でしたが、ひたむきな努力が実ったんでしょう。カタールでもゴールを決めて、ジャガーポーズを見せてもらいたいですね」

次ページ:代表4名を輩出した「さぎぬまSC」

前へ 3 4 5 6 7 次へ

[5/7ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。