「名君」後鳥羽上皇の評価を一転させた「ひどい内容の院宣」は実在したのか――人気歴史家が徹底検証
後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた「承久の乱」。朝廷と武士の力関係が決定的に逆転した、日本史の転換点とされている。
この乱によって、それまで「文武両道の名君」とされていた後鳥羽上皇の評価も一変、とくに敗戦が不可避となった状況で出した「院宣」の内容があまりにひどいと、後世の歴史家によって批判されている。
ところが、人気歴史学者・呉座勇一さんは、新刊『武士とは何か』において、後鳥羽上皇の評価を下げた「院宣」は実在しないと主張している。...