「長野久義」巨人復帰だけじゃない…人情トレードやテスト入団で古巣に返ってきた名選手列伝
入団テストを経て再び巨人入り
“人情トレード”とは一線を画し、自ら古巣への復帰を申し入れ、入団テストを経て再び巨人のユニホームを着たのが、西本聖である。
ドラフト外入団から這い上がり、5年連続二桁勝利を記録するなど、江川卓とともにダブルエースになった西本は、中日移籍1年目の1989年にも自身初の20勝を挙げ、最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した。
その後、椎間板ヘルニアの影響で成績を落とし、92年オフに中日を戦力外になると、翌93年はオリックスで5勝5敗の成績を残したが、契約更改で「5勝したら1000万円プラス」の約束が守られなかったことから、交渉が決裂し、自由契約になった。
現役続行を希望する西本は、若手時代に自らを徹底的に鍛えてくれた大恩人・長嶋茂雄が監督復帰をはたした古巣・巨人への復帰を熱望し、翌春のキャンプで3度にわたる入団テストの末、晴れて合格をかち取った。
だが、それは“茨の道”の始まりでもあった。自著「長嶋監督の20発の往復ビンタ」(小学館)によれば、長嶋監督は「よく頑張った。おめでとう」と言いながらも、「オレの立場もわかってくれ」と内心の苦しさを吐露したという。首脳陣の中に西本の復帰を快く思わない者がいたのだ。
翌94年、チームは5年ぶりの日本一を達成したが、西本は1度も1軍に呼ばれず、長嶋監督に恩返しする機会も与えられないまま、38歳で現役を引退した。翌年1月に行われた有志主催の引退試合では、7回2死から長嶋監督自ら代打で登場し、これまでの労に報いてくれた。
公式戦ではなかったとはいえ、一生の思い出に残る登板で有終の美を飾ることができた西本は「(長嶋監督に)来ていただいただけじゃなく、打席にも立ってもらった。僕は最高だと思います」と感激の涙を浮かべた。