木村拓哉50歳になっても「奇跡の人気」を誇るのはなぜか イベントに100万人集めた力を徹底分析

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幼稚園の頃が富ヶ谷だったんで

 岡本健一とのエピソードは数多ある。他にも携帯電話のない時代に「方南町の信号に立ってろよ」と岡本に言われて、車で迎えに来るまで30分ほど待っていたり……。(*4)木村拓哉が若い頃の話をするときには常に東京の地名がつきまとう。

「16の時、自分のプライベートな友達がみんな渋谷にいた」(*6)という発言も、どことなく“ワル哉”を匂わせるものだが、木村が青春時代を語るとき、こうしてセットで出てくるのが東京の具体的な地名なのである。“ワル哉”は地方のヤンキーではなく、都会にいるちょっと悪い男なのである。

 70年代から80年代の東京という特殊な場所で育っているということが、その都会性・不良性を作り上げている。

 そう考えると、なんだかジャニーズアイドルらしくないように感じる人もいるかもしれない。だが「東京」と広く括ってしまうと気づけない、不思議な一致がある。

 木村は「幼稚園の頃が富ヶ谷だったんで」「代々木公園がでかい山」だったという、幼少時代の心象風景を語っている。(*7)

ジャニーズ事務所発祥の地で

 富ヶ谷といえば、渋谷区の西方に位置する、今の代々木公園や代々木第一体育館、NHKに隣接する地域である。そして、それらは1964年の東京オリンピックの選手村の跡地に作られている。さらに遡れば、選手村の地域は戦後からその1964年にかけて米軍施設・ワシントンハイツが存在した。

 そう、そのワシントンハイツこそが、かつてジャニー喜多川が暮らし、フェンス越しに眺める少年たちに声をかけ、野球チームを結成した場所だ。少年たちは「ジャニーズ」という名前でアイドルとして一世を風靡する――。

 ときに商品であることを拒み、アイドルらしからぬ不良性を醸し出す男。
だが、木村拓哉は実は、ジャニーズ事務所発祥の地といってもいいこの場所で育っている。

 四半世紀人気を保ち続ける稀代のスター・木村拓哉は、ジャニーズと東京が生んだ奇跡のハイブリッドなのである。

(*1)『MORE』2022年5月号
(*2)『anan』1996年2月23日号
(*3)TOKYOFM『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』2021年11月21日放送
(*4)TOKYOFM『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』2019年4月7日放送
(*5)TOKYOFM『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』2019年4月14日放送
(*6)TOKYOFM『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』2021年8月8日放送
(*7)TOKYOFM『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』2022年10月9日放送

霜田明寛
1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーディションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。就活・キャリア関連の著書を執筆後、4作目の著書となった『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3万部のヒットに。また『文化系WEBマガジン・チェリー』の編集長として、映画監督・俳優などにインタビューを行い、エンターテインメントを紹介。SBSラジオ『IPPO』凖レギュラー。

デイリー新潮編集部

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