宮本隆治アナが語る「NHK紅白」秘話 中村勘三郎さんが間違えまいと必死だった西城秀樹さんの曲名
最も印象深い歌は
紅白は売れっ子や大物の歌手が一堂に会する。その歌を聴いた観客がハンカチで目元を押さえる光景は珍しくない。例えば1988年(第39回)、姉の自殺や巨額の借金などを乗り越えてきた故・島倉千代子さんが「人生いろいろ」を歌うと、人目を憚らず泣き出す女性が続出した。総合司会も歌に感動するのだろうか。
宮本「もちろん感動しますよ」
最も印象深いのは1996年(第47回)の大トリ、北島三郎(86)の「風雪ながれ旅」だという。
宮本「聴いた時には震えました」
紅白史に残る北島御大の名歌唱だった。紅白は名歌唱がよく生まれる。それによって、視聴者が特に関心がなかったアイドル歌手や演歌歌手に興味を抱くこともある。なぜ名歌唱が生まれやすいのだろう。
宮本「放送日時に理由が関係していると思います。歌手の方たちが、『1年の最後、この日だけは喉を潰してもいい』といった思いで歌っているからです。紅白が例えば7月31日や10月31日とかだったら、そうはいきません」
歌手たちは紅白に特別な思いを持っているという。
宮本「昭和の時代の紅白はおじいちゃん、おばあちゃん、孫が一緒になって観ていました。歌手の方たちもそうです。今はそういう形で観られる時代ではありませんが、歌手の方たちには昭和期のイメージがいまだ残っていて、力が入るのだと思います」
エースアナたちに任せられるだけあり、総合司会には話術以外のテクニックも求められる。
宮本「終盤になって残り時間が少なくなると、総合司会のトーク部分を削ります。台本を見て『ここを削れば15秒短縮できる』などと瞬時に計算します」
それでも時間が足りなくなると、演奏を速める。バンドに「5秒巻いて」などと指示が飛ぶ。
宮本「歌手の方には事前に伝えませんが、もちろん気づきます。それでも顔色1つ変えずに歌われます」
演奏のテンポアップは最近でこそ減ったものの、以前はよくあった。例えば1976年(第27回)に太田裕美(67)が歌った「木綿のハンカチーフ」は驚くほど速かった。1978年(第29回)に岩崎宏美(63)が歌った「シンデレラ・ハネムーン」などもスピード感が違った。
宮本氏は2001年から2006年まではラジオ第1で生放送される紅白の演出を監督した。この時、ラジオの実況を任せられたのは「鶴瓶の家族に乾杯」などの小野文惠アナ(54)たち。ラジオもやはりエース級ばかりなのだ。
ラジオも含めると計12年も紅白に携わった宮本氏の紅白愛は尽きない。
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