宮本隆治アナが語る「NHK紅白」秘話 中村勘三郎さんが間違えまいと必死だった西城秀樹さんの曲名
大晦日の「第73回NHK紅白歌合戦」の出場者が近く発表される。視聴率は年々落ちているものの、まだ圧倒的な数字であることに変わりはなく、関心度も高い。その舞台裏はどうなっているのか。日本人にとって紅白とは何なのか。かつて「ミスターNHK」と呼ばれ、1995年から2000年まで紅白の総合司会を務めたフリーアナウンサーの宮本隆治氏(72)に聞いた。
宮本「入局23年目の1995年に初めて紅白歌合戦の総合司会を務めさせていただきました。指名された時は天にも昇る気分でした」
紅白の総合司会は入局時からの目標だったからだ。また、紅白の総合司会はNHKのエースアナの証明。喜ばぬアナはいない。
振り返ると、1989年から1990年の総合司会は硬軟どちらの番組でも人気だった松平定知氏(78)が務め、1991年と1992年はユーモラスな人柄で愛された山川静夫氏(89)が担当した。
1993年は札幌放送局の契約職員から看板ニュースキャスターに登り詰めた森田美由紀さん(63)が担い、1994年は「NHKのど自慢」の顔だった宮川泰夫氏(77)に任された。例外なく全員がエースだった。
宮本氏は翌1995年、東京アナウンス室約150人の中から草野満代アナ(55)とともに選ばれた。
宮本「アナウンサー人生が旅だとすると、私にとって紅白の総合司会は目的地でした。山で言うと頂点だったのです」
和田アキ子の緊張
紅白出場を目標とする歌手は今も珍しくない。それは総合司会も同じなのだ。
宮本「ただ、指名と同時にプレッシャーも感じました。紅白の会場となるNHKホールには魔物が潜んでいると思っているからです。その魔物が何度か先輩たちに襲いかかりました。普段は慣れた司会ぶりを見せる偉大な先輩たちが、思いがけないミスをしてしまいました」
例えば1984年(第35回)で総合司会だった故・生方恵一さんである。この紅白がラストステージだった都はるみ(74)が、アンコール曲「好きになった人」を大歓声の中で歌い終えると、生方さんは「もっともっと、沢山の拍手を、美空…」と口走ってしまった。「都はるみ」と「美空ひばり」を言い間違えた。
宮本「いつもの生方さんなら、例え『美空』と口にしてしまおうが、すぐに『ひばりさんを敬愛する都はるみさん』などとリカバリィできます。そういう応用ができる先輩でした」
生方さんはラジオ第1で長くDJも務め、アドリブの名手として知られていたのである。ところが「美空」と言った後はしばし絶句してしまう。
宮本「紅白の空気の恐さです。私も『ミスをしでかしたら、どうしよう』と思いました」
宮本氏は「今だから」と打ち明ける。
宮本「6年間総合司会をやらせていただきましたが、最初の3年間のことはよくおぼえていないんです」
ミスなく進行させることに懸命だったからだ。もちろん、紅組と白組の司会者や出場歌手たちも緊張を強いられる。
宮本「皆さん普段とは違います。1997年(第48回)の紅組司会者だった和田アキ子さんも緊張されていました。私が『アッコさん、よろしくお願いします』と挨拶したところ、和田さんは『宮本ちゃん……』と不安げな声を上げながら近づいて来て、手のひらの汗を無意識のうちに私の黒いタキシードで拭いていました(笑)」
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