「自分は人殺しと一緒です」無実を確信しながら死刑判決を書いた裁判官の告白【袴田事件と世界一の姉】

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「熊本さんのおかげで世間の目が変わった」

 熊本氏の存在を聞き、巖さんの姉・ひで子さんは「袴田巖さんを支援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長や弁護士たちと福岡に行った。2007年1月のことだ。ひで子さんは回顧する。

「福岡市の粗末なアパートに暮らしていました。聡明そうな紳士でしたが、裁判官とは思えない身なりでした。熊本さんは私に会った途端、『お姉さんは袴田君とそっくりだ』と言ったかと思うと、ボロボロ泣いて謝ったんです」

 自分が死刑判決を下した男。その面影を残す実の姉が目の前に現れた。「本当はひで子さんに殴られるんではないかと思っていました」と打ち明ける熊本氏は、その後、巖さんの救援活動に全面協力し、2007年6月には最高裁に再審開始を求める上申書を提出した。

 確定判決の頃から、巌さんには拘禁症の影響が表れ、精神的に不安定になった。ひで子さんが面会に行っても「俺には姉なんかいない」などと言い、会話も「天狗と戦っている」などと支離滅裂になる。そうした中、熊本氏は山崎事務局長やひで子さんと共に巖さんの面会に行ったが、熊本氏だけが拘置所から許可されなかった。

 ひで子さんが弟に「熊本という裁判官を覚えてるかい。動物の熊って書く人よ」と言ったら、「覚えてるよ。あの人はいい人だよ」と言った。ひで子さんは「熊本さんが無罪を主張していたなんてことを巌は知らないから、一審の法廷で厳しく刑事を追究する様子などを見ていて直感的にそう感じていたんでしょうね」と語る。

「もっと早く」とは思わない

 現に当時、巖さんは熊本氏のことを書いた手紙も母に送っていた。「ひで子さんから袴田君の言葉を聞いて本当に嬉しかった」と熊本氏は振り返った。

 ひで子さんは朗らかに語る。

「熊本さんがテレビで勇気のある告白をしてくださってから、周囲の目ががらりと変わりました。私と会話するのを避けていた近所の人も、向こうから話しかけてきます。弟のことを口に出す人など絶対にいなかったのに、『弟さんは元気ですか』なんて言ってくれるようになったんです。その後、(足利事件の犯人とされた)菅家(利和)さんの無罪判決なんかもありましたが、何と言っても熊本先生のおかげです。当時、『どうして今頃。もっと早く告白してくれれば』とおっしゃる支援者もいましたが、家族は違いました。よくぞ話してくださった、と感激でした。兄や姉はテレビを見てボロボロ泣いていましたよ」

 まだ第2次再審請求中で、2014年に再審開始決定が出る前の話だ。だが、2008年3月、熊本氏の上申書もむなしく、再審請求は最高裁で却下されてしまった。

優しい光を放った眼光

 熊本氏は人権団体アムネスティの招待でアメリカ・ニューヨークの国連本部の人権委員会でも発言した。熊本氏のスピーチの後、同行した島内さんもスピーチを求められた。

「田舎者のばあさんが国連の建物を見ただけで感激だったのに、突然、話せなんて。焦りました。『夫は長年、苦悶していましたが、告白しました。袴田さんを助けたい一心でした』とかなんとか必死に話したんです」と島内さんが振り返る。

 筆者が取材したのは、裁判員裁判が議論になっていた頃だ。熊本氏に見解を聞いてみた。

「死刑や無期懲役になる事案は、裁判官の全員一致にすべきです。でも、専門的な勉強もしていない一般の人が参加する今の裁判員裁判には反対です。もちろん死刑制度も反対です」(熊本氏)

 熊本氏は取材中も我に返ったように「会いたい。会って直接謝りたい。絶対に頑張ってほしい」と絞り出した。前立腺がんのホルモン治療で少し脳に影響があるという。そんな「夫」を見守りながら、島内さんが語った。

「この人、心が優しすぎたんです。だから人を裁くような仕事には向かなかったんですよ、きっと」

 波乱の半生は高橋伴明監督により「BOX 袴田事件 命とは」(2010年公開)という映画になった。若き熊本裁判官の役は気鋭の俳優・荻原聖人。熊本氏は映画について「ちょっと恥ずかしいけど、袴田君を助けるために少しでも役に立てば嬉しい」と子供のような笑みを浮かべた。

 袴田事件に出会わなければ、裁判官として、晩年も弁護士や大学教授として悠々自適だっただろう。それが生活保護を受給する生活になっていた。「あんな事件にさえ巡り合わなければ、と悔しく思ったことは?」と筆者が質問すると、老いた紳士は「そんなこと全然思わないよ」と微笑んだ。

 事件があったから、心が落ち着く女性、島内さんと出会えた。島内さんの存在が歴史的な告白にもつながった。猛暑の中、取材中は肌着一枚だったが、写真撮影でシャツを着てもらった。杖を手に立ち上がり、島内さんに着替えを手伝ってもらう姿は弱々しかったが、その眼光は俊英を思わせる鋭さを残し、かつ優しい光が放たれていた。

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