「自分は人殺しと一緒です」無実を確信しながら死刑判決を書いた裁判官の告白【袴田事件と世界一の姉】
涙の会見
2006年のある日、熊本氏は「ハカマダ事件の袴田巌君をなんとか助けたいんだ。どこか連絡先とかないかなあ」と言い出した。島内さんには何のことかわからなかったが、息子がネットなどで調べて驚いた。
「お母さん、あの人、ものすごい人だったんたよ。裁判官だったんだ」
熊本氏は、島内さんの息子に教えてもらった「袴田巖さんの再審を求める会」宛に手紙を書いた。「自分は袴田事件の一審の裁判官です。無実と思いながら評議で敗れ意思に反した死刑判決を書いたのです。なんとか袴田君の救出の役に立ちたい」との趣旨だった。これを機に、秘めてきた事実を世に明かす。
2007年3月9日、熊本氏は記者会見を開き、「39年前、私は無実と思いながら死刑の判決を書きました。どうしても袴田巌君を助けたい」と泣きながら打ち明けた。会見には輪島功一、大橋秀行、花形進、藤猛ら、ボクシングの歴代世界チャンプも並んだ。東日本プロボクシング協会の輪島会長 は「ボクサーなら殴って殺す。刺すなんてしない」と、巖さんの無実を訴えた。全日本フェザー級6位までいった巖さんを、かつてのボクサーたちは全力で救おうとした。
「自分は人殺しと一緒です」と会見中も涙をぼろぼろ流す熊本氏の姿が大きく報じられた。しかし、裁判所法による裁判官の「秘密の厳守」は、退官後も拘束する。会見では法を盾に告白をなじる新聞社の女性記者もいた。熊本氏の決心の理由は、合議の2人の裁判官が他界したこともあった。
熊本氏の「良心の告白」は、米ロサンゼルス・タイムズ紙や仏フィガロ紙など海外の新聞にも大きく報じられた。テレビ朝日の「報道ステーション」やTBSの「NEWS23」では、「親兄弟のことを忘れても、死刑判決言い渡しの時の袴田君のうなだれた姿を忘れたことは一日もない。会えたら泣くことしかできない」と泣きながら訴えた。熊本氏は一躍、時の人となる。
「警察の工作では」と無実を確信
実は一審の裁判で熊本氏は、捜査関係者や味噌会社の従業員に対しては多くの質問をしたものの、巖さんに質問することはほとんどなかった。巖さんに質問したのは石見勝四裁判長だった。熊本氏はその間、話している被告人や証人らの顔をじっと観察した。
「それが一番大事だという信念があったんです。罪状認否を2度もやらせたのはそのためです。(中略)罪状認否で袴田君は『やってません』と自信をもって語った。私はじっと被告席の彼を見ていたが、怖いほど落ち着いていた。『裁判官ならわかるでしょ』といった様子でしたね」(熊本氏)
警察の取り調べについても、次のように話す。
「(動機について)最初は『肉体関係のあった専務の妻から強盗殺人に見せかけて保険金を取ろうと言われた』と言ったのが、『家庭を持って家族と住みたかった』などに不自然に変遷し、警察の誘導を感じました」(熊本氏)
初公判から1年近くたって、検察は起訴状の犯行着衣をパジャマから「味噌樽に隠されていたのを発見した」という「5点の衣類」に変えた。
「警察は味噌樽くらい徹底的に調べたはず。真犯人が証拠を隠したにしても変だ」と熊本氏はますます不信感を持った。
[2/5ページ]