メイド・イン・ジャパンの高品質パソコンを再び世界に――山野正樹(VAIO代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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商社時代に得た座標軸

佐藤 山野社長は三菱商事出身です。商社時代はどんな仕事をされていたのですか。

山野 IT関係が長かったですね。若い頃はアメリカで三菱電機の携帯電話を売っていました。当時はいまでは考えられないほど、日本の携帯電話メーカーが強かった。三菱のものはハイエンド(高級品)で、エリザベス・テーラーなどのハリウッドスターやマイケル・ジャクソンも使っていました。

佐藤 アメリカにいらしたのはいつ頃ですか。

山野 1985年から92年まで日米を行ったり来たりし、92年から99年まではアメリカ駐在でした。だいたいレーガン政権からクリントン政権までですね。

佐藤 外国の方が長いですか。

山野 いえ、海外駐在はアメリカ7年とシンガポール3年の計10年です。もっとも日本でも本社にはあまりいなくて、事業投資先にいた方が長いですね。

佐藤 それもIT関係ですか。

山野 はい。99年の帰国後は、価格競争が激しいハードは難しいので、サービスやソフトウエアのビジネスにシフトします。具体的には、企業向けのコンサルティングをやったり、システム開発をしたり、データセンターを作ったり、そういった会社を立ち上げて育成・経営していくということですね。

佐藤 激変するIT業界をずっと見てこられたことになりますね。

山野 それはそうですが、商社はITがあまり得意ではないんですね。天然ガスの権益を取得して電力会社に売るような大きな仕掛けを作るのはうまいんです。でもITは、小さな事業から始まり、最初の売り上げや利益も少ない。それを積み上げると、10年、20年後に大きなビジネスになるんですが、そこまで耐えるのが総合商社の規模感だと難しい。

佐藤 すると、目利きが必要になる。

山野 目利きができないといけませんし、辛抱強さも必要です。5年から10年やって「こんなんじゃ間尺に合わない」と、やめてしまうパターンが多いんですよ。撤退してから大きくなった事業もいくつかあります。

佐藤 でも、今の会社でそれまでの経験が生きたのではないですか。

山野 私は事業投資先で経営を担ってきましたので、その経験はかなり生きています。人事や財務、あるいは営業など、ありとあらゆる問題に取り組んできましたから。

佐藤 会社の強い部分、弱い部分がよく見える。

山野 比較することはできますね。経営にあたっての座標軸は商社時代に持つことができたと思います。それに携帯電話とパソコンの仕事は、実は結構似ているんですよ。

佐藤 そうなのですか。

山野 ともに部品をいつ調達し、どれだけ生産するかが重要なんです。実際に販売するのは、パソコンショップや量販店あるいはディストリビューター(販売代理店)で、携帯電話もパソコンも「量販電子機器」と呼ばれます。その販売店の方々から上がってくる数を読みこんで部品を手配していくんです。

佐藤 日本の携帯電話はグローバル競争に勝てませんでした。この20年ほどの日本のIT業界については、どんな感想をお持ちですか。

山野 やはり日本は「ガラパゴス」なのだと思います。独自の思想や規格の中に閉じこもっている。携帯電話なら、NTTドコモというガラパゴス規格の中で、業界としてある程度儲かる仕組みができ上がっていたため、そこにリソースを注ぎこまないわけにはいかなかった。でもその結果、グローバル競争に出遅れました。やはり日本と世界という二足の草鞋(わらじ)では、海外のメーカーには勝てないですよ。

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