“ムード歌謡の帝王”「敏いとう」が初めて明かす、愛妻との死別、コロナ感染、前立腺がん…… 「思うに任せぬ」独居生活を楽しく生き抜く極意
高齢化社会を迎え、とりわけ増加傾向にあるのが“ひとり暮らしの高齢者”だ。いまや高齢者人口の約2割を占め、その数は700万人近くにのぼる。なかでも妻に先立たれた「男性独居高齢者」は孤立化の傾向が強く、生活破綻や孤独死へと繋がるケースも少なくないとされる。自身も最愛の妻を亡くしたばかりの歌手・敏いとう氏(82)が「ままならぬ独居生活」のリアルと、それでも楽しく生きるヒントを提示する。
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【写真5枚】いとう家の「秘蔵写真」と笑顔の絶えない取材時の敏氏
「妻が息を引き取ったのは今年の8月3日でした。もともと糖尿病を患っていて、4月に通っていた病院で突然倒れ、心原性脳梗塞と診断された。脳が内出血を起こしていたため、すぐに手術が必要となり、脳の血管にカテーテルを通す大手術を行いました。無事に手術は成功したものの、その後に水頭症を併発するなどして入院生活を余儀なくされ……。快方に向かっていた矢先の8月2日、女房の足が壊死を起こし始めたので、右足切断の手術を行った直後に容体が急変。翌日に敗血症性ショックで亡くなりました」
こう話すのは敏いとう氏本人である。1971年に結成された、自身をリーダーとする「敏いとうとハッピー&ブルー」は「わたし祈ってます」や「星降る街角」などのヒット曲を連発。1970年代に一世を風靡し、「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた。
「妻はまだ65歳の若さでした。“まさか自分より先に逝く”なんて想像もしてなかったので、病院から容体急変の知らせを受けた時も“まあ、大丈夫だろう”と考えていた。デイサービスの施設から急いで病室に駆け付け、意識のない女房の手を握りながら、とにかく声をかけ続けました。女房から返事はなかったけど、最期まで看取れたことは幸いだった」(敏氏)
敏氏にとって3人目となる妻だったが、「最後で最高の女」だったと話す。
「茄子の皮が噛みきれず……」
最愛の妻に先立たれた当初は「自失」のなかにいた敏氏だが、葬儀では感情が一気に溢れ、人目も憚らず号泣――。そして初めて経験する「独居生活」が始まった。
「亡くなるまでの4か月間、女房が入院で不在だったため、ひとり暮らしの“予行演習”はできていたつもりでした。けど実際に始まってみると不便やトラブルの連続。それでも色んな人の手を借りて、何とかこれまでと変わらない生活を送ることができています。自然と他者への感謝の念も湧いてくるなど、昔だったら考えられない心境の変化に戸惑っているほど(笑)」(敏氏)
敏氏の場合、自分でトイレに行くことはできるが、入浴はヘルパーや娘の介添えが必要という。また料理ができないため、食事も娘やヘルパーが毎日三食、用意する。
「食欲は旺盛で、肉はいまも大好き。先日、娘がつくってくれた夕飯のメニューはドリアにナポリタンスパゲッティ、コロッケに野菜スープだったけど、全部たいらげた。けど噛む力が弱っているから、茄子の皮なんかは嚙み切れなくて吐き出すことも……。実は歳を取って一番難儀だと感じたのが、足腰が弱ること。いまでも時々、踏ん張りがきかず、家のなかで椅子から転げ落ちることがある」(敏氏)
老いとの折り合いのつけ方はいまも「手探り中」というが、「老いて良かった」と感じることも多々あるという。
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