ゼレンスキーの悲願「クリミア半島の奪還」が現実味 ロシア軍が大苦戦する根本原因とは
10月8日の朝、ウクライナ南部のクリミア半島とロシア本土を結ぶ「クリミア大橋」で爆発が起きた。世界各国で大きく報道され、メディアの関心は「ロシアの核報復」に向けられている。一方、軍事ジャーナリストは、“兵站(へいたん)”の観点から「ロシアの敗戦が現実味を帯びてきた」と指摘する。
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どの程度の爆発だったのか、橋に設置されていた監視カメラの映像が報じられている。担当記者が言う。
「ロイターなどが映像を入手して配信しました。日本でもNHKなどが動画を紹介するネット記事を配信しています。いずれの映像を見ても、巨大な紅蓮の炎が橋を包み込み、凄まじい大爆発が起きたことは一目瞭然です。特にテレビ朝日の記事(註1)は監視カメラ以外の動画も併せて伝え、その中には橋の片側一車線が完全に折れ、海中に没してしまった様子も映されていました」
軍事専門家が注目するのは、車道よりも脇を走る鉄道橋だ。橋には線路が敷設され、貨物列車などが走っている。これについては後で詳述する。
まずは、どのような経緯でクリミア大橋が建設されたのかを振り返ってみよう。
「ウクライナのクリミア半島とロシアのタマン半島は、ケルチ海峡を挟んで向かい合っています。ここに橋を架けようという計画は19世紀から存在しました。しかし、日露戦争、ロシア革命、第二次世界大戦、ソ連崩壊と時代の波に翻弄され、なかなか実現しませんでした」(同・記者)
侵略されたクリミア半島
1950年代にはケルチ海峡にフェリー航路が創設され、人や車両、貨物を移動させていた。しかし、輸送量は充分とは言えず、悪天候で欠航することも多かった。
2000年代に入ると、ウクライナ政府とロシア政府が協力し、ケルチ海峡に橋を建設しようという機運が盛り上がったこともある。
だが皮肉なことに、実際に大橋の建設が始まったのは、ロシアがウクライナに“覇権主義”で襲いかかったことが大きな要因だった。
「もともとクリミア半島には、ロシア系住民も多く住んでいます。そのため、1991年にクリミア自治共和国として独立を果たし、その上でウクライナの一部を構成していました。ところが2013年、ウクライナの親ロシア政権がEU(欧州連合)加盟を見送ったことなどから大規模な反政府デモが起きたのです」(同・記者)
翌2014年2月、親ロシア政権は崩壊。代わりに親欧米の暫定政権がスタートした。ところが、これにクリミア自治共和国のロシア系住民が反発。欧米派住民とロシア派住民が激しく対立した。
これに危機感を覚えたロシアは、強引に武力介入を行う。何しろクリミア半島には、ロシア黒海艦隊の本部、セヴェストポリ海軍基地がある。軍事戦略上、最重要拠点であるのは言うまでもなく、絶対に失うわけにはいかない。
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