作家・藤つかさと現役プロ野球選手の不思議な縁 引退試合で起こした、今も後悔する痛恨のミスとは

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その試合の相手捕手が、現在の…

 試合後、エースが「ほんまにごめんな」と、泣きじゃくりながら私に頭を下げました。

 胃をさびた刃物で貫かれたような痛みが走りました。

 ――私がしっかりサイン変更を覚えていれば。もし、サインを出す指の数が1本違っていれば。そうすれば、彼はこうして泣いてはいなかった。自分の選択した指1本分の差で、こんなにもがらりと出来事の結果が変わってしまう。

 今思うと当たり前のことですが、当時はその事実に慄然としたのです。私も泣きましたが、何の涙だったのか今でも分かりません。

 それ以来、私は自己や他者について、ふとした折に考えるようになりました。小説を書き始めたのも、その頃からです。この感情を何とか言葉で整理したいという思いでした。あの時指を4本立てたがために、私の小説家としての歴史が動き始めたことになります。

 さて余談ですが、私たちに勝ったチームを率いた強肩捕手は、その後大阪の名門高校に進学し、甲子園に出場しました。そして阪神タイガースに入団、今季から主将を務めています。

 テレビで坂本誠志郎(さかもとせいしろう)捕手を見る度、応援しながらも、中学時代の4本指の苦い記憶がよみがえってきます。15年経っても、まだ当時の感情をうまく言語化できていないせいでしょう。阪神戦を見ながら、今日もとぼとぼ筆を進めています。

藤つかさ(ふじ・つかさ)
1992年兵庫県生まれ。著書に第42回小説推理新人賞受賞作を収録した短篇集『その意図は見えなくて』。

デイリー新潮編集部

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