講道館杯に古賀稔彦さんの“3人の娘と息子”が出場 準優勝した次男と長男が奇しくも見せた同じ姿
生徒に見せた大逆転
この日、弟とともに大会を盛り上げたのは、73キロ級に出場した長兄の古賀颯人(はやと・25=慶応義塾高校教員)である。
父や弟と同じく日本体育大学を卒業したが、実業団には進まず教員となった。慶応義塾高校柔道部の副部長を務める颯人は、今年、教え子たちを全国大会の団体戦で優勝に導いている。
得意技は切れ味鋭い内股だ。準決勝の相手は旭征哉(21=筑波大学)。先に「技あり」を取られたが、それでも試合時間4分の残り10秒を切ってから「技あり」で追いつき、そのままゴールデンスコアの延長戦に入る。そして見事な左の内股で旭を跳ね上げて背中から落とし、「一本」を取った。柔道では「技あり」は2回で「一本」となる。要は合計「一本半」で勝った。
「やったあ、先生すごい」と大逆転劇を会場で見ていた教え子たちは沸きに沸いた。
決勝の相手は日体大の後輩・大吉賢(23=了徳寺大学職員)。しかし開始23秒、大吉の捨て身技「隅返し」で場外際に転がされた直後、取られた腕に十字関節を完璧に決められた。颯人は「参った」をして敗れた。
会見で大吉は「一瞬の隙を狙いました。ここを決めないとやられると思った」と喜んだ。一方、畳の上では握手をして「後輩」を称えた颯人も、畳を降りた後は悔しさが滲む。会見も涙顔で「悔しいと言うしかない」と言った後、しばらく言葉が出ない。「実業団大会で優勝して自信をつけて臨んだけど、詰めが甘かった」と絞り出した。弟や妹とのことを聞かれると「3人で優勝できれば理想ですけど、弟も負けてしまったし……。でも、自分のことしか考えられなかった」と沈みっぱなし。
そんな長兄に「準決勝では『最後まであきらめるな』という教えを生徒さんに示せたのでは?」と筆者は問うた。颯人は「どのように感じてくれたかわかりませんが、あの試合を見てこれからに繋げてくれればいいのですが……」と話した。示し合わせたはずもないが、表彰台では弟と同じく、準優勝カップを抱えずに右手でぶら下げていた。
この階級には五輪2連覇の王者・大野将平(30=旭化成)がいる。大野は五輪連覇の後、公式試合に出ていないが、12月はじめに開催される国際大会、東京グランドスラムでは「最も金メダルに近い」と代表に選ばれた。パリ五輪に向けて、大野、古賀(颯)、大吉らの熾烈な戦いが始まる。
天国の父
3きょうだいの父・古賀稔彦さん(71~81キロ級)は、1992年のバルセロナ五輪で試合直前に傷めた足を引きずりながらも見事に優勝し、国民に感動を与えた。準決勝でドイツ選手を畳に叩きつけた豪快な背負い投げは、「三四郎」の最高の一本だった。
筆者は短期間ではあるが現役時代の彼の試合を取材していた。伝家の宝刀・背負い投げは、膝を折らず足を逆V字に開いたまま相手を高々と抱え上げて叩き落す、独特の「腰高背負い投げ」だ。引手(相手の袖を持つ側の手)や体の回転力の強さ、そして担ぎ上げられた相手が抵抗した時、咄嗟に落とす方向を変えられる皮膚感覚などが図抜けていた。
1990年には「柔道日本一」を決める体重無差別の全日本柔道選手権にも登場、巨漢を次々に投げ飛ばして決勝に進んだ。小川直也(バルセロナ五輪銀メダル)に屈するも、柔道の醍醐味を見せつけてくれた。
指導者としても慕われた。2004年のアテネ、2008年の北京と、両オリンピックの女子63キロ級で2連覇した谷本歩実さんが、優勝の瞬間に畳を駆け下りて、恩師の胸に飛び込んだ姿を覚えている人は多いだろう。
男子66キロ級の阿部一二三(25=パーク24)が登場した頃、稔彦さんに印象を訊いた。絶賛した後も何か言いたげ。「要はご自身に似ているということですか?」と向けると、「へへっ、実はそうなんですよ」と答えた無邪気な笑顔が忘れられない。愛すべき男の早世は今も信じられない。
仲の良い3人の子どもたちは、父の亡き後しばらく悲しみに沈んだが、父が塾長を務め3人が幼い頃から柔道を学んだ古賀塾道場(神奈川県川崎市)をことし8月から再開し、未来の金メダリストを夢みる少年少女たちも教えながらパリ五輪を目指す。「平成の三四郎」は天国からどんな言葉をかけているのだろう。
(一部、敬称略)