韓国・梨泰院雑踏事故で思い出す「明石歩道橋事故」 遺族は「『行った人が悪い』は大きな間違い」
10月29日夜、韓国ドラマの舞台になったソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)で、ハロウィーンを前に集まった若者らが群衆雪崩に巻き込まれ、155人(1日現在)が圧死する大事故が起きた。この事故に、2001年7月、11人が亡くなった明石歩道橋事故を思い出した人も多いのではないだろうか。歩道橋事故の遺族は、梨泰院の事故をどう見たか。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
【写真】21年前、11人が圧死した「明石歩道橋事故」が起きた朝霧歩道橋の現在
子供やお年寄り11人が死亡
今回の事故では、韓国に語学留学中だった北海道根室市の冨川芽衣さん(26)ら日本人女性2人も犠牲になった。
報道によると、冨川さんは事故の約3時間前に「ビビンバおいしかった」などのメッセージを父親の歩さん(60)に送っていた。身元確認のため韓国に向かう歩さんは「娘は韓国が大好きだった。早く会いたい」と涙を浮かべながら語り、妻と共に中標津空港から羽田空港へ飛び立った。もう1人の邦人の犠牲者は18歳の留学生だという。
事故に関しては様々な情報が乱れ飛んでおり、正確な報道が待たれる。
群衆事故といえば、2015年9月にサウジアラビアで、メッカに巡礼する2000人以上が死亡したとされる大事故が起きている。日本で最大の犠牲者を出した群衆事故は、1956年元旦に新潟県の彌彦神社で起きた、宮司の餅撒きに群がった人たちが階段で総崩れになり124人が死亡したケースだ。
比較的新しい惨事でいえば、2001年7月21日夜に兵庫県明石市のJR山陽本線の朝霧駅から線路を跨ぐ「朝霧歩道橋」で起きた明石歩道橋事故がある。花火の見物客11人(子供9人、高齢者2人)が圧死した。人為的な落ち度も甚だしく、警備会社の社員と明石市職員、明石警察署員の計5人が業務上過失致死傷罪で有罪が確定しており、事故というより事件といえる。
明石歩道橋事故では、花火が終了した午後8時半、帰宅しようと駅に向かう人と出店を楽しもうと大蔵海岸へ進む人が、駅と海岸をつなぐ橋の上で衝突した。海岸へ降りる階段が通路の半分の幅しかない「ボトルネック構造」だったことも影響し、向かってくる人を跳ね返す力のない子供とお年寄りが犠牲になった。
警察は何もしてくれなかった
梨泰院の事故について、当時3歳になる直前だった次男の智仁ちゃんを失った神戸市の下村誠治さん(64)は、「歩道橋事故では幼い子供と御老人しか亡くなっていないが、ソウルでは体力のある若者が大勢亡くなっている。歩道橋事故以上のすさまじいエネルギーだったのでは」と想像する。
歩道橋事故では、密集のピーク時、長さ100メートル、幅6メートルの橋の上に、約6000人が集まっていた。1平方メートル当たり最大13~14人がいたことになり、1人の上にアップライトのピアノが乗るほどの圧力がかかったという。
今回の梨泰院の事故では、立ったまま意識を失った人も多かったという。
下村さんは「韓国社会は、すぐに大統領のせいにするなど政治的な問題として追及する傾向があるが、(事故は事故として)じっくり検証してほしい。3年ぶりにコロナによる行動制限がなく、若者たちの開放感もあったのでしょう。花火もそうですが、1つの楽しい目的に向かう群衆は、他のことは考えられなくなりがちなんです」と話す。
そして「警察官など警備員をマニュアル通りに配備しても、臨機応変に対応できる意識が高くないとダメなんです」と断言し、「(歩道橋事故が起きた時)橋の下に警察5人が歩いていた。藁をもすがる思いでアクリル板を必死に叩きました。彼らは何度も下を往復していたのに何もしなかった」と当時を振り返る。
下村さんは智仁ちゃんに「絶対にここから動くな」と言い聞かせて、押し潰されている人たちを救助した。その後、路上に並べられた瀕死の息子を抱え、前を通った警察官に必死に助けを求めたが、「私は機動隊ですので」と去られたという。
明石歩道橋事故と梨泰院の事故には共通点がある。韓国メディアによれば、現場の警察官は200人程度で、盗撮や薬物犯罪の摘発などを主目的にし、雑踏事故への警戒が薄かった。歩道橋事故でも明石警察署は暴走族対策に人員を大投入し、会場にはわずかの警官しか配置しなかった。
「イベント場所のチョイス(選択)がまず大事。そして、群衆が過剰に溢れたらどうなるか想像しなくてはいけない。渋谷のハロウィーンも心配ですよ」と語る下村さんは、自身の辛い経験や防止策を国土交通省のアドバイザーとして伝え続けている。
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