不倫、再婚、離婚の末に最初の妻と再々婚した44歳男性の苦悩 突然知った空白の4年間の秘密
離婚したことを後悔する人は少なくはない。男性の17%、女性では10%が「離婚して後悔したか」の問いに「はい」と回答している調査もある(イベント総合サイト「e-venz(イベンツ)」の2021年調査、115名の男女を対象)。決意が揺らぐタイミングがある、というのは確かなのだろう。
実際、もとのパートナーとふたたびヨリをもどすパターンもある。男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が今回取材したのもそんな男性。自身の不貞による離婚と再婚を後悔し、最初の妻と「元のサヤ」におさまった。だがその胸中には暗い影が落ちているようだ。
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古典落語に『子別れ』という人情噺の大ネタがある。腕のいい大工の熊さんが吉原に3日も入りびたり、帰宅したのはいいが妻に向かって女郎ののろけ話までし、夫婦げんかのあげくに妻は子を連れて家を出ていってしまう。
その後、お気に入りの女郎と暮らし始めるが、家のことを何もせず朝から酒を飲んで寝てばかりで、男を作って出ていった。心を入れ替えて仕事に打ち込んだ熊さん、3年後にばったり生き別れた子どもに会い、それがきっかけで妻とよりを戻すという内容だ。
現代にもそんな話はある。不倫から離婚、不倫相手と再婚したもののうまくいかず、元妻と再々婚。そんな激動の数年間を送ったのは、坂本雄浩さん(44歳・仮名=以下同)だ。
「せっかく元妻とまた一緒になれたのだから、何があってもがんばろうと思っていました。でも元妻の秘密を知ってしまった。もとはといえば自分が蒔いた種ですから、僕がここで踏ん張るしかないとわかっているんですが……葛藤しています」
雄浩さんが最初の妻であるすみれさんと結婚したのは29歳のとき。大学の同期だったが、在学中も卒業後も親しくする機会はなかった。だがあるとき、仕事でばったり会った。
「僕は、とある企業でコンサルティング事業をしていて、彼女が勤める会社と取引があったんです。担当が変わったと紹介され、顔を見たらすみれだった。あちらも覚えていて、いきなり和やかに仕事が進みました」
その後、再会を祝して気軽に食事に行ったのを機会に、デートを重ねるようになり、1年後には結婚した。
「気が強い、しっかり者、そして何より率直でチャーミング。それがすみれですね。仕事ぶりもテキパキしてかっこよかった」
2年後には双子の女の子も生まれた。すみれさんはずっと仕事を続けるつもりだったようだが、長女に先天性の病気が見つかり、退職を余儀なくされた。生まれてからの2年間で3回も大きな手術をしたという。
「すみれは長女に付き添って病院、僕は次女のめんどうをみるのがパターンでした。それでもどうにもならず、僕の母親がよく手伝いに来てくれました。みんなでがんばって双子を育てていた。無我夢中でした」
その後も入退院を繰り返していた長女が少しずつ元気になり、もう大丈夫だと思えるようになったのは4歳になったころだ。
「娘たちの誕生日に家族でお祝いしました。今まで本当に大変だったと思う、ありがとうと僕はすみれに頭を下げました。一時期、すみれは長女を連れて死にたいとまで言っていましたから。でもそれを彼女は前向きなエネルギーに変えた。どうしても長女を元気にするんだ、と。彼女を支えていたのはその一心だったと思う。僕は気が弱くて、娘の将来を考えると落ち込んでばかりだった。でもとうとう完治した。すべてすみれのおかげです。そう言うと、すみれは泣き笑いして、『あなたも大変だったわよ』と。娘たちもキャーキャーはしゃいでいて、ああ、家族っていいなと本気で思いましたね」
夫婦で協力して、子どもを育てていく。そんな「平凡だけど幸せな日々」を雄浩さんは満喫していた。それからしばらくして、すみれさんは「仕事をしようと思う」と告げた。
「保育園に預けて働くのは大変だけど、すみれはたぶん仕事が好きなのだろうから、彼女の人生も大事にしたい。そう思いました。できる限り時間を調整しあって共働きでがんばっていこうと話し合ったんです。僕たちは何でも話しあって決めていく。それができる関係になっているというのがうれしかった」
どうにもならないときは彼の母親が助っ人にきてくれた。そこに甘えていると感じてもいたが、4歳にもなると言い聞かせればわかる年齢でもある。元保育士の母は、子どもの気持ちをきちんとすくい上げてくれた。
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