「誤審で一睡もできず」「ネットに“仰木監督を殺した”と書かれ…」 現役プロ野球審判らが語る舞台裏、現役選手で気に入られているのは?

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「誤審した日は一睡もできず」

 そんな山崎氏が最もきつかった記憶と言うのが、2000年6月20日の日本ハムvs.ロッテ戦。日ハムの故・大島康徳監督を退場させたゲームだ。

「あれは東京ドーム。私は三塁の塁審を務めていました。ロッテの打者がレフトポール際に大飛球を放ち、私は打球がポールの内側へ飛んでいくのを見てホームランと判定した。しかし、大島監督が、あれはファールだと猛抗議に出て、23分間も試合が中断したんです。暴言や暴行はありませんでしたが、事態を収束させるために退場を宣告しました」

 帰宅後、ビデオで確認すると、

「愕然としました。打球が20~30センチはポールの外側を飛んでいったことが確認できたんです。紛れもないファール。その晩は食欲もなく一睡もできませんでした」

 なぜなら、

「その翌日、同じカードの球審を務めなくてはならなかったんです。試合中は針のむしろに座らされた心境でした。日ハムの観客席からは“帰れ、山崎”コールが響きましたし、1回から9回までずっとやじり続けていたお客さんもいましたよ。もう一度誤審をしたら、辞める覚悟でした。その試合のことは勝敗も含めて全く覚えていない。ただ、無事に務め上げ、帰宅した瞬間、膝から崩れ落ちて大泣きしたことは覚えています」

“仰木監督を殺したのは山崎審判”と書き込まれ…

 野茂英雄やイチローの恩師である名将・仰木彬監督を退場させたことも、苦い思い出として脳裏を離れないという。

「2005年、オールスター前の一戦だったと思います。ホームベース上でアウトかセーフかの判定を巡り、当時、オリックスの監督だった仰木さんともめた。“下手くそ!”と暴言を吐いたものだから、間髪容れず退場を宣告しました。すると、仰木さんも“俺も退場するからお前も退場せぇ”と」

 後から判明したことだが、当時、仰木監督はがんで闘病中だった。

「やはり後でVTRを見ると、私の誤審でした。でも仰木さんはその後、この件については一切、触れなかった。スポーツマンらしく、ネチネチとした粘着質な態度は取りませんでした」

 そのシーズンオフ、仰木監督はこの世を去った。

「あの試合の後から監督はめっきりと体調を崩した。がんの進行には、退場のストレスもあったのでしょうか。ネットに“仰木監督を殺したのは山崎審判”という書き込みもあり、随分と心が痛みました」

 山崎氏は、「激昂型」として有名な、400勝投手の故・金田正一氏を、ロッテ監督時代に退場せしめたこともある。

「判定を巡って“バカヤロー”と言われたので、“あんたほどバカじゃない”と言い返しました。すると金田さんが後日、試合前に私のところに来て、こう謝ったんです。“お前、大学出てるんだってな。昨夜はバカヤローって言って悪かった。下手くそって言えばよかった”って」

 どちらの言葉にしても退場ものであるが。

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