「硬いボールやだ」と泣きべそをかいたヤクルト村上 “野球好き”にした母の言葉とは
作文につづった夢
村上選手が大きく飛躍したのは九州学院高校への進学後だ。身長は180センチを超え、体重も入学時の80キロから、3年生時には100キロの大台に。加えて2年生から始めたジム通いで、ベンチプレスは110キロ、デッドリフトは200キロとプロの練習に耐えられる肉体改造も果たした。持ち前の打撃技術にも磨きがかかり、高校通算52本とホームランを量産、“肥後のベーブ・ルース”と呼ばれたのはこのころだ。
そして作文を書いた10年後、プロとなった「将来の自分」は、とてつもない大打者になっていた。史上最年少で三冠王を獲得し、王貞治さんの日本人年間ホームラン記録を塗り替えることになるとは当時の村上少年ですら想像できなかったのではないか。
作文には両親への想いもつづられている。
「ぼくの夢は、プロ野球選手になって、お父さんお母さんが試合を見にきてくれた時にホームランを打ってそのホームランボールをお父さんお母さんにあげて、成長した姿を見せることだ」(原文ママ)。
この先、どれだけ成長するのか。ご両親だけではなくプロ野球ファンも楽しみで仕方ないのではないか。