「夫のことが心底嫌になった」 家事の細部まで指示されて離婚を口にする38歳妻
「いい子」のまま大人になると
ここで私は聞いてみました。
――たとえば、母親や友人に離婚の相談をしたことはありますか。
28歳から10年以上専業主婦だった彼女が離婚するためには、実家やご友人の支えがあるといくらか安心できそうです。
「無理です。母には絶対に離婚なんて言うことができません。即座に反対されます。母は専業主婦で家を守ってきた人ですから、私も同じように家を守りなさいと言われるのはわかっています。家を守ることができない私自身を否定されてしまいます。今でも私は母から『いい子』だと思われているのに、母を悩ませるわけにはいきません」
ご友人はどうですか。力になってくれる、相談に乗ってくれる人はいますか。
「いません。友人たちはみんな専業主婦で、子供をおいて働く母親を否定的に見ているんです。私も彼女たちの気持ちに合わせて、働く母親たちの悪口を言ってきましたから、今さら私が離婚を考えているなんて伝えると、今度は私が否定され陰口を叩かれるような気がします。母親や友人たちの考え方に合わせてくるしかなかったんです。彼女たちを不快にさせたくありません」
少し早口になり、一息に気持ちを吐きだした彼女は、マスクを外して手元のコーヒーカップを持ちます。時間が経ってコーヒーは冷めているから入れなおしましょうかと伝えると、手間をかけるのは申し訳ないから冷めたコーヒーをいただきますとおっしゃる。それほど冷めていませんし、少しくらい冷めたコーヒーのほうが飲みやすくて好きですとまでおっしゃる。
なるほど。
彼女は、自分自身の思いや意見よりも、母親や友人の気持ちを優先する優しい「いい子」ですね。それは私に対する態度でも同じように見られます。
これは日本人にありがちな「いい子症候群」といえるかもしれません。自分の感情や居心地の良さが一番ではなく、親や友人、世間にとって「いい子」であることを優先する傾向を「いい子症候群」と呼びます。ここでいう「いい子」とは心理学で言うところの「従順な子供(Adapted Child)」です。その表現からもわかりますが、幼少期からの親と子の関係が影響しているとされているものです。
もちろん、親からの声かけや行動に影響を受けない子供はいませんが、症候群とまで命名される場合は、親からの支配やコントロールが強く働き継続的に行われてきた場合に起こることです。
それは幼少期のことだけで、大人になったら自分で意思を持ち支配から逃れられるでしょうと思うのは早計です。
「いい子症候群」の場合は、日本独自の文化も背景にあるため、大人になったからといって簡単に自分を変えることは想像する以上に難しいことです。
欧米、例えばキリスト教社会においては、神の言葉は絶対であり神に対してうそをつくのは悪という明確な指針があるため、親や世間の言葉よりも神との約束が優先されます。契約社会ですね。
ところが、日本では唯一絶対神を信じる文化は主流ではありません。八百万の神です。
食事の前には、十字を切って天にます神に感謝を伝えるのではなく、日本では手を合わせて食材や食事を作ってくれた人への感謝を思い、いただきます。おのずと、まわりの人や親への感謝が生まれると同時に、まわりの人や親の意向を尊重し、自分のことを後まわしにしがちです。
もちろんいずれも悪いことではありません。
自分ではない他者の気持ちを慮(おもんばか)る、人が喜ぶことをしてあげる、他者を優先する、自分の気持ちだけを一方的に押し付けることをしない等、日本人の美徳ともいえるものです。
ところが、幼少期に「いい子」でいることを継続的に強いられ続けた場合は、それが言外であっても影響を強く受けたまま、「従順な子供」のまま大人になり、本来美徳であったはずのものが行き過ぎて表れてしまいます。
つまり、他者の気持ちを慮るのではなく、人の顔色ばかりうかがってしまう。自分を喜ばせるのではなく、他者の喜びのために自分自身に過剰な我慢を強いてしまう。相手に自分の気持ちを押し付けるどころか、自分自身の気持ちがわからなくて具体的に表現できない。その結果、他者の話を聞くことは得意でも、自分の気持ちや意見を発することが苦手になってしまう。
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