何もかもが見えすぎる社会は人を幸せにしない――與那覇潤(評論家)【佐藤優の頂上対決】

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分断を乗り越えるために

與那覇 僕が可視化の最大の副産物だと思うのが、社会全体へのニヒリズムの広がりです。偉そうな人でも実は大したことがないという実態がこれだけ見えてしまうと、人間、結局は運だけだ、偶然がすべてで努力は無駄だといった感覚になる。例えば学者になるにせよ、昔は「誰それ先生のお弟子さんなら、それなりの人でしょう」で通ったので、さほど実績を可視化せずに済みました。しかしいまはとにかく博士号を取れ、質はいいから論文や学会発表の量を稼げと指導されるので、早いうちから本人にも周囲にも「どの程度の才能か」が丸見えになる。結果として「なんであいつが、俺よりいいポストなんだ」といった嫉妬や怨恨も、以前より強まっていると感じます。

佐藤 可視化しても、決して暮らしやすい社会ができたわけではない。

與那覇 自己啓発本ばかりがベストセラーに目立つのは、もう広く社会を見渡したってろくなことはなく、「自分が得をする生き方」しか考えられないという諦めの表われです。しかし僕もせっかく学者を辞めたので、これからはそうした「個人の生き方」に落とし込む形でも、思考の成果を届けていきたいですね。

佐藤 與那覇先生は、この社会を住みやすく変えていくポイントはどこにあるとお考えですか。

與那覇 やはり異質なもの、ネガティブに感じられるものとの共存のあり方です。ネガティブな存在でも世の中にあっていいんだ、と思えて初めて、「ネガティブな自己評価しかできない自分」も許すことができるわけですから。その方法を探したい。

佐藤 例えば何がありますか。

與那覇 コロナ禍ではっきりしたのは「対面」が鍵だということです。僕は休職中、デイケアに通っていましたが、リモートワークはあり得ても「リモートデイケア」はあり得ない。類似の病気を持つ人が、物理的に同じ場所にいることで初めて、自分は排除されていないと思える。

佐藤 対面にはどこか有無を言わさぬ暴力性もあります。つまり相手が自分の中に入ってくる。

與那覇 物質的な存在感から来る圧迫ですね。しかしデイケアのポイントはSNSのプロフィール欄とは逆に、その人の履歴や思想についての情報からは遮断されて、純粋に存在感だけを共有することなんです。

佐藤 お互いに何も知らない。

與那覇 プロフィール的な情報の可視化は、それ自体が分断につながりがちな上に、本人も「これらの属性を失ったら、自分は無価値だ」という不安にさらされます。むしろそれらについては一切不可視でも、現に一緒にいられるぞ、という体験が安心感を生み出すのだと思います。

佐藤 相手のことがよくわからないと、不安になりませんか。

與那覇 もちろん相互によく知らないから、最初は「突っ込んだ会話」はしません。例えば僕に歴史学の話を振る人は誰もいない(笑)。しかしそれでも一緒に盛り上がれることで、「なんだ。歴史学者じゃなくたって、俺は社会にいていいんじゃん」という気持ちになれるわけです。

佐藤 ああ、それは猫の集会ですね。野良猫が10匹くらい集まって、あまり近づかないよう適当な距離をとっているような感じ。

與那覇 近いかもしれません。互いに自己啓発を競い「プロフィール欄の見せ合い」に陥る中で人間が忘れてしまった、同一化も殴り合いもせず一緒にいるための作法を取り戻したい。そんなふうに考えています。

與那覇 潤(よなはじゅん) 評論家
1979年神奈川県生まれ。東京大学教養学部卒。2007年同大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。同年から15年まで地方公立大学で准教授を務めるが、双極性障害を発症し17年に退職。現在は在野で執筆活動を行う。主著に『翻訳の政治学』『帝国の残影』『中国化する日本』『知性は死なない』『平成史』など。

週刊新潮 2022年10月20日号掲載

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