何もかもが見えすぎる社会は人を幸せにしない――與那覇潤(評論家)【佐藤優の頂上対決】
可視化の落とし穴
佐藤 それにしても、與那覇先生や以前、この対談に出ていただいた東畑開人先生など、40歳前後の優秀な方々が大学という制度化された学問の世界から次々に出ていきますね。
與那覇 まあ僕の場合は、病気のために出ていかざるを得なかったという側面が大きいですが。
佐藤 大学はいろいろ問題があるにしても、知的な作業をするには便利な場所です。その資産を利用してやると考えればいい。その意味ではお二人がストイックに見えます。
與那覇 そこまでではないものの、大学に対する当てつけで評論家を名乗ってはいます(笑)。学者が「それは学問ではなく評論にすぎない」とか、悪口のように評論という用語を使うのが昔から嫌いでしたので。
佐藤 なるほど。その評論家としての初めての著作が『過剰可視化社会』ですね。一般的に可視化や透明化は推奨すべきものと捉えられていますが、そこに警鐘を鳴らしている。
與那覇 ファクトやデータのような形で物事を可視化さえすれば、自ずと世の中は良くなるといったナイーブな発想は違うと思ったんですね。
佐藤 どういうきっかけでそう考えるに至ったのですか。
與那覇 僕が大学を休職していた2016年の前後に、メディア上での「発達障害ブーム」がありました。当事者がカミングアウトして積極的に自身の体験を語り出し、彼らを応援したいというテレビ番組やウェブサイト、NPOなども増えていった。僕自身もメンタルで休職中でしたから、最初はいいことだと思っていたんです。しかし見ているうちに、しだいに違和感が募っていった。
佐藤 確かに、私はADHD(注意欠陥・多動性障害)だと、芸能人をはじめ多くの人が言い始めましたね。
與那覇 そうしてメディアに出てくる人たちは、みんな容姿や服装が素敵で、満面の笑みだったりします。でもいちばん辛い状況にある人は、取材で顔なんか出せないし、仮に出てもらっても笑顔には絶対なりません。そちらの「可視化されない部分」にこそある問題を、見た目に優しいキラキラした絵柄で覆い隠してしまう風潮はまずいと感じたんです。
佐藤 当然、メディアに出てくるのは作られたイメージで、実態とは違うでしょうね。
與那覇 同じ頃に驚いたのが、僕も病気になるまでは利用していたツイッターの変わりようでした。論客等ではない一般の人たちがプロフィールに、政治的な立場から抱える病気・障害、セクシュアリティーまで、プライベートなことを満載するようになっていた。昔は「意見が違う人とも話せるのがいいね」と言われていたSNSアカウントの自己紹介欄が、いつしか「反安倍」「原発ゼロ」「同性婚絶対実現」といった記述で埋め尽くされ、そこだけ見れば発言を読む必要がないくらいになっている。
佐藤 そのワーディングだけ見れば、説法までわかりますよ。
與那覇 ご丁寧に「違う人とは議論しません」のように一言添える人までいます。顔も知らない人の、内奥に秘めていたはずの特性が誰でも見えてしまい、それが理解ではなく分断を生んでいる。異常なことですよ。
佐藤 私にとって過剰可視化社会といえば、やっぱりソ連です。監視社会と言った方がいいかもしれませんが、私が最初に住んだ部屋はアパートの11階でした。それでカーテンを買いに行ったら、必要ないだろうと言われたんですよ。
與那覇 のぞき込まれないでしょと。
佐藤 そう、3階以上の部屋はカーテンがないんです。しかも下の階のカーテンもレースです。
與那覇 透けているわけですね。
佐藤 そもそもカーテンなんかしていたら、変なことをしているのではないかと疑われるぞ、というわけです。ザミャーチンの『われら』というディストピア小説の「ブラインド権」を思い出しましたね。普段はガラス張りの部屋で暮らしていて、国が決めた女性と性行為をするときだけ、ブラインドが下ろせる。
與那覇 可視化を課す権力がある。
佐藤 ソ連は権力側が民衆に強制するグラスノスチ(公開性)はかなり進んでいたわけです。それがゴルバチョフのペレストロイカ(立て直し)で、民衆とともに、権力側のグラスノスチ、デモクラチザツィヤ(民主化)が進められ、その結果、国家が崩壊します。だから私は民衆による可視化が重視されると、国家崩壊が近づくんじゃないかと身構えますね。
與那覇 実は、すでに可視化によって権威が崩壊したのが大学です。学者たちのSNSでのやりとりを見て、「なーんだ。この程度の人たちか」とみんなに見抜かれちゃった。
佐藤 激しい非難合戦のようなことをよくしていますよね。
與那覇 自分のフォロワーの前で「言い負かした」ポーズを取れれば、主張の一貫性なんておかまいなし。折々のニュースにも「安倍死ね」的な罵倒口調でコメントを寄せ、ネット上の取り巻きに「さすが先生です!」とお追従を言わせてドーパミンを出していますが(笑)、逆に言うと知識人でないとできない発言なんてほぼしていないわけです。
佐藤 ネット空間なら、東大教授もどっかの兄ちゃんも同じで、いまならガーシーが一番強いわけでしょう。あるいは、ひろゆきに勝てる東大教授はいるかということですよ。
與那覇 泥縄で大学はいま「脱グラスノスチ」に舵を切っています。昔はホームページに教員のメアドや研究室の内線番号をすべて載せていたのに、最近はなくなりつつある。
佐藤 電凸(一般人から組織の見解を問いただす電話)が背景にあるんでしょうね。
與那覇 抗議メールもですね。また留学や編入のためのコネを狙って、いきなり教員個人に履歴書つきのメールを送る人もいます。象牙の塔のベールを剥いで可視化したら、単にカオスな場所が生まれただけだった。
佐藤 ネット空間は関係性がフラットになりますから、権威であろうとなかろうと、絡んでくる人がいる。
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